1991~1995年の重大ニュース
1991~1995年の重大ニュース
1995(平成7)年:
1 | アジア初の「国際コーヒー科学会議(ASIC)京都大会」開催(36ヶ国450人が参加) |
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2 | 阪神・淡路大震災で業界に大打撃 |
3 | コーヒー生豆の輸入量が3年ぶりに大幅ダウン |
4 | 全協が消費振興拠出金を輸入生豆1kg当たり80銭に変更・効率的運用へ |
5 | 全協が新体制(長谷川会長、山下専務理事)でスタート |
6 | 第5回「レギュラーコーヒーフェア」150万通応募で大成功 |
7 | 全協のコーヒー科学情報活動を一層拡充 |
8 | 連合会主催で最大消費国の米国を視察・中堅ロースターと懇談 |
9 | コーヒー生産国連合(ACPC)が輸出割当に7月から踏み切る |
10 | 全協顧問渡辺美智雄氏、専務理事黒羽怜一氏が急逝 |
1994(平成6)年:
1 | ブラジルの記録的な霜害で生豆国際相場が3倍〜4倍に高騰 |
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2 | 原料商騰でコーヒー製品価格が上昇 |
3 | コーヒー生豆年間輸入量550万袋超で記録更新確実 |
4 | 1994年ICA(新国際コーヒー協定)が経済条項無しで締結、発効 |
5 | コーヒー製品関税率、ウルグアイ・ラウンドで最終決着 |
6 | 国際コーヒー科学会議(ASIC)の理事会、日本で初会合 いよいよ明春、京都会議開催 |
7 | 全協消費振興事業の抜本的見直し作業に着手 |
8 | 東日本組合50周年・兵庫県組合30周年など、各地組合創立記念行事開催 |
9 | 全協が健康問題に前向きに取組み「コーヒー&ヘルス」を発行 |
10 | 全協のコーヒーインストラクター制度が発足 |
11 | 全日本コーヒー公正取引協議会が有機栽培等の表示を制定 |
1993(平成5)年:
1 | 新コーヒー協定の交渉決裂で米国脱退、ICOの空洞化浮き彫り |
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2 | 生産国28ヶ国で「コーヒー生産国連合」(ACPC)を結成、輸入留保実施 |
3 | コーヒー生豆輸入量、初の500万袋突破 |
4 | 全協(組織・財務委員会)がコーヒー消費振興資金拠出分担金の公平化で答申 |
5 | コーヒーと科学をテーマに「国際コーヒー科学会議」(ASIC)の京都開催決まる |
6 | 「コーヒーの表示規約・規則」5月から完全実施 |
7 | 第4回全日本レギュラーコーヒーフェア」新スタイルで実施 |
8 | 「日本コーヒー文化学会」の設立 |
9 | 全協の初代会長上島忠雄氏急逝 |
10 | 「第6回コーヒーの需要動向に関する基本調査」を公表 |
11 | コーヒー関税率、ウルグアイ・ラウンドで引下げ必至 |
1992(平成4)年:
1 | 全協が「コーヒーと健康」に積極的対応方針を決定 |
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2 | 新ICA「経済条項」再導入のため管理制度技術部会を設置 |
3 | コーヒー関税率、ウルグアイ・ラウンドで引き下げ必至 |
4 | 国際コーヒー価格の低迷続く |
5 | 第16回ASIC「国際コーヒー科学会議」を1995年、京都にて開催を決定 |
6 | 「環境にやさしい食品包装等の適正化自主基準」を作成、積極的に対応(減量化、資源再利用、容器リサイクル) |
7 | 1993年第6回「コーヒーの需要動向に関する基本調査」を実施 |
8 | 「全日本コーヒー公正取引協議会」コーヒー表示競争規約・規則の完全実施を推進(会員177社、アウトサイダー24社含む) |
9 | 『公正』マークの制定及び分別回収用スチール缶表示の実施 |
10 | アフリカコーヒーミッション、ケニア・タンザニア訪問成功 |
11 | エルサルバドル「海外貿易会議」成功裡に終了 |
1991(平成3)年:
1 | 全日本コーヒー公正取引協議会設立 |
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2 | ICA期間延長決定(93年9月まで) |
3 | 日本インスタントコーヒー協会創立30年を迎える |
4 | 環境問題に業界が積極的対応 |
5 | 「ASIC国際コーヒー科学会議」の開催を決議 |
6 | コーヒーエキスの輸入量急増とリキッドタイプの需要躍進 |
7 | 日本企業の海外進出(輸出・出店・農業事業など)活発化 |
8 | グルメコーヒーなど高付加価値商品が台頭 |