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COFFEE BREAK
文化-Culture-
おばあちゃん探偵が、情のもつれを解きほぐす。
物語の舞台となる紅雲町は、東京から上越新幹線で1時間ほどの地方都市にある。数えで76歳になる杉浦草(そう)は、10年ほど前に、祖父の代から続く日用雑貨の店を建て替えて、和食器とコーヒー豆を扱う「小蔵屋」を始めた。古い民家の古材を使った店内には、萩や唐津から仕入れた和食器が並んでいる。
小蔵屋のウリのひとつは、コーヒーの試飲サービスだ。そのために、店内にカウンターとテーブルを設けてある。使用するカップはもちろん草のお気に入りの和食器。良質のコーヒー豆を仕入れているから、味に絶対の自信を持っている。無料のサービスにもかかわらず、草は一人一人にいれたてのコーヒーを提供しているようだ。読んでいると、豊かなコーヒーの香りが漂う光景が思い浮かぶ。
1杯のコーヒーが、人の気持ちを円くする。
刺々しい表情で店に入ってきた客も、優しい手触りの和食器でコーヒーを味わううちに次第に表情が柔らかくなる。この客たちの表情が、小蔵屋の最大の特徴ではないだろうか。
いっぽうで草は、客とできるだけ個人的な付き合いをしないよう心がけている。話しかけられても相づちを打つだけ。そっけないようにも感じるが、だからこそ常連客と一見客に区別がない。誰もが居心地のいい雰囲気とは、こうして作るものだと教えてくれる。
無料のコーヒーサービスなんて、何も買わずに、コーヒーを飲むだけの客が増えるばかりで商売にならない? しかし草には、それも織り込み済み。小蔵屋のような小さくて主張の強くない店には、他にない個性が必要だと考えた末の決断だ。かつて草の母も、客との世間話に嫌な顔ひとつせず付き合っていた。あれは母なりの地道な営業活動だったと草は分析する。コーヒーの試飲は、リスクも覚悟の上の戦略なのだ。商売の一環だからこそ、手抜きは一切しない。その潔さが何とも見事。
著者は、2004年にオール讀物推理小説新人賞を受賞。紹介する2冊には、受賞作品を含む計11の連作短篇が収録されている。推理小説といっても、込み入ったトリックも複雑な人間関係も登場しない。草は、身近なトラブルを、人と人との付き合いの中から解決していく。コーヒーを飲む客同士の会話から、思わぬ事件の芽を見つけることもある。ただし決して先を急いだりはしない。あくまで自分のペースで、じっくりと事件に向き合う。解決の鍵となるのは、凶器や科学知識とは無縁の、人の情と理をベースにした推理だ。『萩を揺らす雨』に収録された「クワバラ、クワバラ」では、家族と折り合いが悪く家出した秀子(草の小学校時代の同級生)が、幼少時代を家族と過ごした家のあった場所にいることを突き止める。秀子の幼少時代からの屈折した想いに気が付いたからだ。
トラブルの直接の原因がたとえお金であっても、解決の鍵は心にある。草は人の心に寄り添い、相手の気持ちを少しずつ開いていく。しかし情に流されすぎず、時にはしっかりと理を説く。おかげで強情だった秀子は、次第に態度を軟化し、ふたたび家族と暮らし始める。事件だけでなく心の悩みまで解決するのが、草の推理なのだ。
70代の店主が語った、繁盛のコツとは?
草の経営哲学も参考になる。『その日まで』では、近所に和雑貨の店がオープンする。草は、小蔵屋のお得意さんが、その店の紙袋を提げているのを見て、何とも言えない気持ちになる。それでも、目先の利益を追って商売のやり方を変えたりはしない。たとえ心中穏やかでなくとも、表面上は淡々とこれまで通りの営業を続ける。一時の不安に押しつぶされない強さも店主には必要なのだ。
福祉作業所が制作した、アロマキャンドルの売り込みも断った。人の役には立ちたいが、自分が納得したものでなければ売りたくない。草は、そんな頑固さを持ち合わせている。
ある時、夫婦で寿司屋を営む能理子から繁盛のコツを聞かれた草は、お金のかからない方法として、「掃除と笑顔」と答える。さらに懐が許すなら、同じ業種のいい店を回ることを勧める。繁盛するためには何が必要か、痛いほどわかる、というわけだ。
しかし、能理子にその言葉は通じない。自分の店の経営が行き詰まったのは、特別な理由があるはずだと考えたのだろうか。能理子は、その後繁盛店の上辺だけを真似するように店を改装し、結局資金繰りに行き詰まる。誰から教わることなく、店の掃除に気を抜かず、笑顔を絶やさない草と、不満だけを口にする能理子との差は歴然。成功するためには、自らが学ぶ姿勢を持つことが大切なのだとよくわかる。
日常の中で、草はたくさんの悪意と出会う。しかしいつも少しだけ善意との出会いのほうが多い。だから読んでいるとじわじわと心が温まってくる。まるで、和食器に注がれたコーヒーを飲んでいる時のように。悪意に対抗できるのはさらなる悪意ではなく、善意。そんな心地よさをじっくりと味わってほしい。
文藝春秋 ¥1,750(税込)
吉永南央著
杉浦草は、ひょんなことから小さな商店を巡る、不審な不動産取引を知る。関係者の話を聞くうちに、不動産屋やサラ金業者が1本の糸で繋がっていく。一筋縄ではいかない組織を相手に、草は、解決策を見出せるのか。不動産取引を巡る3篇を含む6篇を収録。
文春文庫 ¥580(税込)
吉永南央著
地方都市の静かな町で「小蔵屋」を営む杉浦草は、ある日店内に設けたコーヒーの試飲コーナーの客たちのおしゃべりを耳にした。家庭内で起きている暴力の影を感じた草は、独自の推理を働かせ、虐待されていた中学生を救出する。「紅雲町のお草」ほか4篇を収録。