COFFEE BREAK

文化

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2020.12.28

NY、コーヒーを飲みながら、「カポーティ」を探す。

稀代の天才作家の⾜跡を辿る
NY、コーヒーを飲みながら、「カポーティ」を探す。

鋭い観察力と鋭利な文章でカポーティが活写したニューヨーク。そこは今もコーヒーがよく似合う、"芸術家の居場所"。

ブルックリン・サイドからイースト川越しにマンハッタンを望む。この公園の近くにカポーティの暮らしたアパートメントがある。

左から:マンハッタン38丁目にある「カルチャー・エスプレッソ」で若き日のカポーティを彷彿とさせる客と出会った。/『冷血』の背表紙に載せられたカポーティの肖像。

 映画『ティファニーで朝食を』は、オードリー・ヘップバーン演じる主人公ホリー・ゴライトリーがニューヨーク5番街の高級宝飾店ティファニーの前にイエローキャブから降り立ち、ショーウィンドウの前で紙袋からペストリーとコーヒーを取り出して〝朝食〟を摂るシーンから始まる。彼女が身に着けたジバンシィのドレス、レイバンのサングラス、背後に流れる「ムーン・リバー」の哀調、そしてテイクアウト用のカップ(この時代に!)に入れられたコーヒー......全ては映画が製作された1960年代のニューヨークの栄華を象徴するアイテムだった。この魅力的なストーリーの原作者、トルーマン・カポーティは10代で作家デビューし、20代半ばにはすでに文壇の寵児となっていた早熟の人。広く社交界にも通じ、多彩なニューヨーカーを構成する一つの強力なカラーとして、作品のみならず人物としても光彩を放った。

左から:「ニューヨーカー」の編集部が入っていたビル。/通りに面したテーブル席でコーヒーを飲むニューヨーカー。この街の人たちは「気持ちの良い時間」を作り出すのが上手。/「ラ・グルヌイユ」はカポーティが通ったレストランの一つ。


ホリーに投影された、カポーティの母親像。

 カポーティは1924年にトルーマン・ストレックファス・パーソンズとして南部ルイジアナ州のニューオーリンズで生まれた(カポーティという姓は母親の再婚相手のもの)。ニューオーリンズにはチコリを混ぜたコーヒーとベニエで有名な店があるが、カポーティも子供の頃からコーヒーに親しんだだろうか。

「カルチャー・エスプレッソ」店内の様子。紙カップにもドーナツにも強い個性があるのがいかにもニューヨーク的。

 両親は早くに離婚。母親は幼い息子を親戚の家に預け、「上流の暮らし」と「名声」を求めてニューヨークに行ってしまう。『ティファニー』の主人公のモデルは作者の母親だった。空想好きでお喋りのトルーマンを叔母のジェニーは可愛がったが、彼の話の度がすぎると「嘘はおよし」とたしなめたという。10代の半ばになると、トルーマンもニューヨークに移る。作家志望の多感な少年は『ニューヨーカー』誌の編集部で下働きの職を得ている。

ティファニーで、イノセントなコーヒーを。

〈食事の前に八杯もマティーニを飲んで、象が洗えちゃうくらいワインを飲んだんだもの〉(『ティファニーで朝食を』より)。お酒のシーンには事欠かない『ティファニー』だが、コーヒーのシーンとなるとそれほど多くはない。映画版では冒頭に掲げたオープニングの1度きりだ。原作の方には4度「コーヒー」という言葉が登場する。印象的なのは、ホリーに捨てられた夫が彼女を連れ戻そうとニューヨークにやってきて、作家の分身とも言える男とダイナーで対面するシーン。〈彼の身体からは煙草と汗の匂いがした。コーヒーを注文したが、運ばれてきても手もつけなかった〉

 夫の心情が尋常ならざる状態であったことがうかがわれる。一方でコーヒーは「日常」「平穏」を象徴している。

 小説が話題になり、映画がヒットすると、社交界の女性たちは「私こそがホリーのモデルなのよ」と口々に言い募ったという。言わずもがなだが、当時ティファニーにカフェやレストランはなく、店内で朝食を摂ることはできなかった。「ティファニー」も「朝食」も、あくまでもメタファとしてカポーティの小説世界に取り込まれていたのだ。しかし、2017年に事態は変わった。ティファニー店内にカフェがオープンし、ティファニー・ブルーに彩られた空間で朝食やコーヒーを楽しむことができるようになった。このことを「夢が叶った」と捉えるか、「夢が壊された」と捉えるかは人によって違うだろうけれど。

左から:59 丁目にある「アーゴシー・ブックストア」は1925年創業。貴重な初版本やマニア垂涎のアンティーク地図などが揃う。/経営者のミズ・ジュディス・ローリー。

左から:『ティファニーで朝食を』の初版本。/『冷血』の初版本。この作品によりカポーティはノンフィクション・ノヴェルという新ジャンルを打ち立てた。/『クリスマスの思い出』に残された作家のサイン。

カポーティの短編を読みつつ、コーヒーを飲むべき場所。

左から:「アルゴンキン・ホテル」で。カポーティならマティーニでも飲んだだろうか。/滅多に顔を出さぬハムレット君に会えた!

 マンハッタンのアルゴンキン・ホテル(1902年創業)はカポーティの生きた時代の雰囲気を追体験できる数少ない場所の一つだ。運が良ければフロントでマスコット・キャットの8代目ハムレットが迎えてくれる。そう言えば、ホリー・ゴライトリーも「名無しの猫」を飼っていたっけ。文壇の溜まり場として知られるラウンジ・バー「ラウンドテーブル」でクラシックなブラックコーヒーを飲みながらカポーティの短編を読むのもいいだろう。

左から:ラウンジ・バーの名の由来になったラウンドテーブル。/クラシカルなコーヒーは当時のまま。

左から:ここにも「自分にふさわしい居場所」を求めるニューヨーカーの姿が。/ヘップバーンが映画の中でギターを弾いたのはこんな場所だった。

「ふさわしい居場所」を見つけるための店。

左から:ブルックリンの「ルーツ・カフェ」。/雑然としていながらも不思議とハーモニーが感じられる店内。人々はお喋りを楽しむというよりは自分の世界に没頭しているように見える。

 自身について「アルコールと薬物の依存症で、同性愛者で、天才である」と吹聴していたカポーティ。彼にとって天才=芸術家であり、天才であるためには「生き方そのものが芸術でなくてはならない」(『トルーマン・カポーティ研究の結び』)のであった。

左から:イースト川の川面の煌めきの向こうに自由の女神がシルエットで浮かぶ。/ブルックリン橋と摩天楼。ニューヨークでは星条旗までもがアートの一部に見える。

左から:「ルーツ・カフェ」にて。クッキーは近所に住む70歳の女性が作っている。/経営者姉弟。パトリシアさんの夫は映画監督。アーティスト一家だ。

マンハッタン・サイドからブルックリンを望む。今日もニューヨークは新しさと古さを兼ね備えつつ躍動している。

左から:新名所「ハイライン」の近くで見つけたアーティスティックなドア。/この街には会話の達人が多い。

現代のコーヒーのある風景を、彼ならどう描くだろう?

 ニューヨークは今も〝芸術家の街〟だ。ブルックリンの「ルーツ・カフェ」は画家のパトリシアさんと詩人でミュージシャンのダニエルさんの姉弟が営む。店の常連客には物書きや映像関係といったクリエーターが多いという。常連客の一人がサンドイッチとコーヒーを注文する。「それぞれのお客さんの好みに合わせたサンドイッチを10種類用意しています」とパトリシアさん。壁には彼女が描いた常連客の似顔絵がびっしりと並ぶ。「お客さんの名前は全て覚えています」とダニエルさん。下町らしい親密さを大切に。それは10年前にこの店を開いた創業者のポリシーでもある。

 裏庭の籐椅子でコーヒーを飲むことにした。〝誇りを持て〟とカラフルな絵具でペイントされた壁のボード、吊るされた安っぽいライト、無造作に並べられたボタニカルの鉢......全てはアートのかけらだった。「この店は人々にとって、家庭でも社会でもない〝第3の居場所〟であるべきだと考えているんです」とコーヒーを運んできたダニエルさんが言う。母親に捨てられ、この街で生涯〝居場所〟を探していたようにも見えるカポーティのことが思い浮かんだ。

 店では毎週木曜の午後に「アフターアワー」と銘打って、パフォーマーが公演をしたり、ポエトリー・リーディングを行ったりしている。カポーティが晩年の傑作『冷血』を書いた経緯を追った映画『カポーティ』には作家が新作の朗読を行い、喝采を浴びるシーンがあるが、もしカポーティが生きていたら、こんな場所でも朗読会を行っていたかも知れない。

 旅の最後にコーヒーマグを片手に再び5番街を歩いた。ティファニーの前に警備車両が数台。聞けば、まもなく大統領専用車が通るのだと言う。カポーティなら、今のアメリカをどんな風に描くだろう?

左から:ビジネスランチ後のコーヒーを飲む二人。/ベーグル・ショップで語り合うカップル。


取材・文・写真 浮田泰幸 / コーディネート Yuko Matsuda, M-Sisters, LLC.
更新日:2020/12/28

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