COFFEE BREAK

文化

文化-Culture-

2017.04.20

恋多き天才の足跡を追ってフランクフルトへ。

文豪ゲーテが、愛したコーヒー。

ゲーテハウスの向かいにあるカフェ〈カリン〉でツーリストもコーヒーブレイク。

文学史上に煌々と輝く一等星、ゲーテはコーヒー通だった。彼の創造力とバイタリティを支えたのはどんなコーヒーだったのだろう?

『若きウェルテルの悩み』には2度コーヒーが登場する。最初は冒頭部分、主人公がワールハイムという「気持ちのいい場所」について仔細に述べるところだ。〈料亭のおかみさんは若くはないんだが愛嬌があってきびきびしていてね、酒もある、ビールもある、コーヒーもある。(中略)ぼくは料亭から小卓をこの広場に運ばせて、椅子を持って行かせて、コーヒーを飲んだり、ホメロスを読んだりする〉そしてもう1カ所は、物語の最後、愛するロッテへの想いを永遠のものとするために自死を決意した主人公が、今生に別れを告げる日のシーンだ。〈翌朝、従僕が呼ばれてコーヒーを持って行くと、(ウェルテルは)書きものをしていた〉そこにはコーヒーの味わいも、飲んだ時の気分も書かれてはいない。コーヒーは物語をしかるべき方向に粛々と進めるための......ちょっとしたアイテムとして使われている。

左から:ゲーテが洗礼を受けたカタリーナ教会の向かいにある〈カフェ・ハウプトヴァッヘ〉で。ゲーテのマスコットはゲーテ博物館で買い求めた物。/カフェ〈カリン〉のラテ・マキアート。/ゲーテハウスに展示された陶器。

ゲーテハウスの3階にあるこの部屋はゲーテの書斎だった。この机で不朽の名作『若きウェルテルの悩み』が執筆された。

 この小説の初稿が書かれたのは1774年。コーヒーがヨーロッパ各地に広まったのは17世紀前半のことだから、100年ちょっとの間にこの飲み物が人々の暮らしの中にすんなりと浸透していたことがわかる。82年間の生涯に5万本のワインを飲んだといわれるゲーテはコーヒー好きとしても知られていた。30代後半に旅して強く感化されたイタリアではローマの〈カフェ・グレコ〉やヴェネチアの〈カフェ・フローリアン〉に日参し、コーヒーを楽しんだ。作家・詩人・法律家・政治家であると同時に科学者でもあったゲーテには、コーヒーにちなんだ〝科学的貢献〟の逸話も残る。コーヒーから有機化合物カフェインを分離することに初めて成功したのはドイツ人のフリードリープ・ルンゲで1819年のことだが、この時ルンゲに「コーヒーに含まれる、頭を冴えさせる物質の研究をしてはどうか」と勧めたのはゲーテだったという。

左から:ゲーテハウスの一室。家具調度も当時のまま。戦時下、岩塩採掘場の岩穴に隠して守られた。/ヘキストの陶器を納めたカップボード。ゲーテハウス1階のダイニングルームのコーナーにある。

左から:ゲーテ家の裕福ぶりがうかがえる豪奢なカップ&ソーサー。/大人の背丈よりも大きな柱時計。/キッチンの棚に飾られたコーヒーミル。ゲーテもこのハンドルを回して豆を挽いただろうか?

この街で、この家で、ゲーテはコーヒーを知った。

ゲーテの生家を満たした、コーヒーの香りを夢想する。

左から:「銀杏の葉」の額。/ヴィレマー夫人とゲーテの逢瀬の舞台となった館、ヴィレマーホイスヒェン。/マリアンネ・フォン・ヴィレマーの肖像画。

 フランクフルトはゲーテが生まれ、16歳までと20代の半分ほどを過ごした街である。初恋をしたのも、汎神論と出会ったのも、『ウェルテル』を発表したのも、最初の婚約(後に解消)をしたのもフランクフルトでのこと。コーヒーの魅力に目覚めたのもこの街でのことだったに違いない。

左から:カタリーナ教会の内部。ゲーテは親戚の影響で汎神論(すべてのものに神が宿るという考え)に傾倒した。一杯のコーヒーにも神は宿ると考えた?/〈ツム・シェトルヒ・アム・ドーム〉の入り口。/店のスタッフに「ゲーテがそこにいると思ってサービスしてほしい」と頼んで、コーヒーを注文した。時間を超えたコーヒーがテーブルに。

 旧オペラ座の前からはゲーテ通りが延び、ゲーテ像の立つゲーテプラッツに続いている。さらに少し南に歩けばゲーテハウス(生家)とゲーテ博物館に至る。母方の祖父が市長まで務めた名士だったこともあり、生家は4階建ての威風堂々とした建物であった。1階のダイニングルームにはポットとカップ&ソーサーを納めたカップボードがある。陶器は近郊のヘキストで焼かれたもの。調理場の棚には鉄製のハンドルの付いた古めかしいコーヒーミルが...。コーヒーの香りがこの館を満たしていた様がありありと想像できる。ゲーテが10歳の頃、フランスの軍隊がこの家に寄宿するという事態が起こった。このとき、軍政長官トラン伯爵が雇って絵を描かせていた画家にコーヒーを運ぶ役割を仰せつかったゲーテ少年が、わざと離れた場所にコーヒーを置いて画家の仕事を中断させるといういたずらをしたことが自伝『詩と真実』に述べられている。

左から:レーマー(旧市庁舎)。/ゲーテプラッツに立つゲーテ像。/聖バルトロメウス大聖堂。ここで行われた神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式の模様をゲーテは『詩と真実』に記している。戴冠式を終えたヨーゼフ2世はレーマーのバルコニーで、祝賀する群衆に応えた。

左から:この看板に沿って歩けば、フランクフルトのゲーテ関連の史跡を巡ることができる。/現在カフェになっているバロック様式のハウプトヴァッヘはゲーテの時代には帝国自由都市フランクフルトの治安を司る警備本部兼監獄だった。

ゲーテの通った店で、コーヒーが想起させた格言。

恋多きゲーテの創作を、手助けしたコーヒー。

左から:レーマー広場が描かれた古い絵にザッハトルテとコーヒーを並べ、往時を偲んでみた。/ゲーテの愛したコーヒーに少しでも近づくべく、市内でも老舗の〈ヴァッカー・カフェ〉へ。創業は1914年。

 ゲーテハウスを出て、通りの向かい側にあるカフェ〈カリン〉に入った。ランチを終えた人々がコーヒーを飲んでいる。最近の流行りはコーヒー、ミルク、ミルクフォームが三つの層になったラテ・マキアート。

 コーヒーを挟んで語り合う男女を見ていてゲーテが恋多き男であったことを思い出した。お相手の数は、世にその名が知られている女性だけでも10人以上。ゲーテにとって神そのものである自然と女性はインスピレーションの源泉だった。66歳の時にゲーテが25歳年下のヴィレマー夫人に贈った「銀杏の葉」など多くの恋の詩歌が残る。彼がそれらを書く際にはコーヒーの力を借りたことだろう。

はかりの前に並べられた1キロ入りのコーヒー豆がどんどん売れていく。

 もし生きていたら今年268歳になるゲーテが飲んだのと同じコーヒーを今に求めることは不可能に近い。しかし、文豪と同じ場所でコーヒーを飲むことはできる。レーマー広場近くのレストラン〈ツム・シェトルヒ・アム・ドーム〉は1704年創業。ゲーテはこの店の常連だった。木漏れ日の躍るテラス席に陣取り、ゲーテが好んだというグリューネゾーネ(7種のハーブを使った緑のソース)を添えた子牛肉とアスパラガスを食べた。食後のコーヒーの香りの中、ゲーテの格言の一節がふと胸に湧いた。〈なぜいつも遠くへばかりいこうとするのか。見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみかたを学べばよいのだ〉

文 浮田泰幸/写真 吉田タイスケ/コーディネート ユゴさや香
更新日:2017/04/20

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