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COFFEE BREAK
文化-Culture-
英国紳士を虜にした、コーヒーハウスの近代史。
英国のエリート諜報部員〝007〟のジェームズ・ボンドも、じつはコーヒー党だ。英国式朝食を愛するが、彼のカップに注がれるのは紅茶ではなくコーヒー。それが、このクールな英国紳士のこだわりのひとつなのだ。紅茶文化の国として知られる英国だが、近代史において、社会に大きな影響を及ぼしたのはコーヒーハウスであった。著者は、17世紀後半から18世紀において、ロンドンのコーヒーハウスが果たした役割を、多数の資料から解き明かす。
英国に初めてのコーヒーハウスがオープンしたのは1650年。オックスフォードでのこと。ロンドンに誕生するのは52年。パリやウィーンよりも30年以上早いのは、当時の外交力の差だろうか。17世紀、英国は東南アジアにまで進出するなど、熱心に交易圏の拡大を図った。コーヒーをもたらしたのはオスマン・トルコ帝国。そのためコーヒーハウスの看板の多くには、トルコの支配者たちが描かれていた。
「かまって欲しい」女たちは、その存在に激怒した。
コーヒーハウスは、瞬く間に人気スポットとなった。理由のひとつに、そこでは酒が提供されなかったことが挙げられる。当時は、階級に関係なく朝からエールやワインを飲むのが当たり前だった。勤勉とは程遠い有様で、健康にも悪い。
そこで初期のコーヒーハウスの店主たちは、コーヒーの効能を訴える広告を打った。ロンドン初のコーヒーハウス「ローズィの店」の宣伝ビラには、消化作用を助けること、頭の働きを早め、眠気を防ぐこと、痛風にも肺病にも腺病にも効果があるなどと書かれていた。これに飛びつかない人はいないだろう。しかも酒より格段に安い。
店内の雰囲気作りにも心を砕いたことは、壁に貼り出されていた利用規則を見ればわかる。身分にかかわらず誰でも歓迎。他人を口汚い言葉で罵ったりしないこと。賭博は禁止。大声での議論を慎み、静かに語り合うべし。現代のコーヒーハウスにも通じる、紳士的なマナーを客たちに求めたのだ。
かくして、コーヒーハウスは男たちが心地よく過ごせる場所として街に欠かせない存在となった。
ところが、その熱狂振りを快く思わない人たちもいた。居酒屋の店主たちの反発は想像に難くないが、なんと女性たちも猛反発したのである。コーヒーハウスに出入りすることはできなかった、ロンドン市内と近郊に住む数千人の妻、未亡人、娘たちが請願書を提出。妻は、夫の愛を失ったと嘆き、未亡人は、裕福な男やもめと知り合いになるチャンスがなくなったと訴え、娘たちは、独り者の男性たちの能力を奪ったと告発した。要するに彼女たちは、男たちが女を楽しませなくなった、と言いたいらしい。男たちだけで群れて楽しんでいたことを逆説的に証明している。そんな楽しい場は、立地などにより自然と、町人が出入りする店、法律家が集う店、芸術家が集う店と傾向が出てくる。
経済取引の場にもなった、シティのコーヒーハウス
コーヒーハウスは、次第に情報発信の場と化した。折しも、英国内外の政治は、激動の時代。本書にも年表が添えられているが、1640年から始まるピューリタン革命、クロムウェルの独裁、王政復古、そして88年の名誉革命によって議会政治が確立。その後18世紀に入ると、産業革命が始まる。
「コーヒーハウスは王政にとって危険な場所である」と考えたチャールズ2世は、亡くなる1685年まで、コーヒーハウスでのニュースの流布や国事批判を禁じた王令を出すなど対応に腐心したようだ。
しかし、議会と王権が対立し、その後、議会政治がスタートするなか、コーヒーハウスと政治との関係は深まるいっぽう。当時の2大政党であるトーリーとホイッグ、さらにその中の分派ごとに政治クラブが誕生し、それぞれが、議会の開催地だったウエストミンスターホール近くのコーヒーハウスに集った。
経済との結びつきを強めたのは、王立取引所のあるシティのコーヒーハウスだ。17世紀後半には店内で船舶の競売が行われたり、スペインの巻きたばこが販売されるなど、経済取引の場へと姿を変えつつあった。なかでも歴史に名を残すのは「ロイズ・コーヒーハウス」だ。開店は1688年。おもな客層は、商人や船長、船主たち。次第に海運情報が飛び交うようになり、ついにロイズ海上保険組合が誕生する。
本書に収められているのは、近代を築いた貴重な場所の記録だ。時代を読むマーケティングで人気を博し、あらゆる男たちを虜にしたコーヒーハウスが、次第に好みや思想によって分化されていく。その衰退についてはほとんど触れていないが、学ぶべきことは、誕生から発展への経過に詰まっている。老いも若きも、経済人も文化人も、スリもスパイも足を運んだというコーヒーハウスは、客にも店主にも真剣な仕事場だった。当時の勢いのある姿を、実感して欲しい。
法政大学出版局 ¥2,625
著者プロフィール:岩切正介(いわきり・まさあき)
1940年朝鮮生まれ。66年東京大学大学院人文科学研究科独語独文学修士課程修了。横浜国立大学教育人間科学部教授を経て、現在は帝京大学外国語学部教授。75年にウィーン大学、99年にヨーク大学にて海外研修。おもな著書に『英国の庭園 その歴史と様式を訪ねて』など。