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COFFEE BREAK
文化-Culture-
マッチを見ると鮮烈に蘇る、ジャズ喫茶の熱気。
かつてどの街にもあり、一世を風靡したジャズ喫茶。大音量渦巻く空間は、アングラ文化の拠点でもあった。そんな独特の空間の魅力を、マッチは雄弁に物語る。
ジャズの響きに溶け合うのは、ライターではなくマッチの音。
〝ジャズ喫茶〟というと、現在ではすっかりレトロなイメージ。だが、1960~70年代に青春を過ごした世代なら、特別な思いを蘇らせる人も多いのではないだろうか。
当時のジャズ喫茶は、先鋭的な人々が集まる文化の発信地だった。ときはまさに、学生運動やアングラカルチャー真っ盛りの頃。エネルギッシュで混沌とした時代の空気を色濃く反映しているのが、若者たちの溜まり場だったジャズ喫茶のマッチだ。
「マッチはお店のいちばんの宣伝材料だったから、デザインに熱を入れたオーナーは多かったですね」
こう語るのは、ジャズ喫茶マッチのコレクターであり、自らもジャズ喫茶のオーナーである矢野正博さん。全国を訪ね歩いて集めた、膨大なコレクションは圧巻だ。ミュージシャンの写真を使用したもの、イラストやロゴに凝ったものなど、どれも個性豊か。洗練された現在のショップカードのデザインとはひと味違う、荒削りで渦巻くようなエネルギーが伝わってくる。
「ジャズ喫茶では、ほかにもマッチが重要だった理由があるんです」と矢野さん。聞けば、当時のジャズ喫茶はおしゃべりがNGというところが大多数。現在と違って情報量が少なく、オーディオ機器も非常に高価だった。若者たちにとっては、ジャズ喫茶が最新の音楽シーンに触れる唯一の場だったため、足繁く通ってコーヒー1杯で終日粘る強者もいたという。多くは地下にある穴蔵のような店構えで、スピーカーから流れる大音量に深刻な顔で耳を傾ける修行僧のような客がたくさんいて、うるさくすると睨まれたと矢野さんは苦笑する。
「そんな張り詰めた雰囲気だから、本を読むときはページをめくる音にも気を遣いましたよ。ガサガサ大きな音がする新聞なんてもってのほか。タバコを吸うのもね、ライターのカチッという金属音はNGで、マッチじゃないといけなかった。擦るときのシュッという音は、音楽と馴染んだんです」
確かに、マッチを擦る音にはどこか温かみが感じられ、LPのアナログ音に違和感なく溶け合いそう。立ち込める紫煙も、ジャズ喫茶の風景の象徴だった時代だ。
多くのフォロワーを生んだ、新宿の老舗「DIG」の思い出。
日本にジャズ喫茶が登場したのは、昭和初期のこと。戦時中はトーンダウンしたが、戦後は再び盛り返して60年代にピークを迎えた。矢野さんが初めてジャズ喫茶に行ったのも、60年代半ばの高校生時代。先輩に連れられて行った先は、新宿のジャズ喫茶の老舗「DIG」だった。記念すべき初体験だったが、そのときは逃げ帰ってしまったのだという。
「穴蔵みたいな異様な空間に、大音量の異様な不協和音が鳴り響いていましたからね。モダンジャズが最先端だったその頃は、ジャズは悪魔の音楽だって言われていて、聞くだけで不良のレッテルを貼られたものです」
2度目にトライしたときも受け付けなかった矢野さんだが、店で流されていたチャーリー・ミンガスの重厚でパワフルな音楽と、ビュッフェの絵を使ったマッチの鮮烈なデザインがいつまでも心に残って、いつしか「DIG」に通い始めるようになった。ジャズ喫茶の中には敷居の高いところもあったが、「DIG」オーナーの中平穂積さんは非常にフランクで、若者たちを引っ張っていってくれる人だった。店のカウンターにはそのときかかっている曲のLPジャケットが立てかけられており、カウンターに行って小声で尋ねれば、その曲のことから最新情報まで何でも教えてくれたという。
「DIG」に触発されて店を始めたジャズファンも数多く、矢野さん自身も大学を中退して21歳でジャズ喫茶を始めたというから、まさに人生を変えた出会いだったのだろう。
ジャズ喫茶のマッチは、青春のパイプライン
そんな矢野さんにとって、ジャズ喫茶の最大の魅力とは?
「やはり音楽そのものですね。ジャズを媒介にした共通の言語を持っている人たちが集まる場は、道場みたいなものでした。幾つもの店を訪ね歩いて、オーナーから色んなことを教わって。逆に自分の店では、お客さんに珍しいレコードをかけてあげて、『どうだ!』って言うのが楽しいんですけどね」
現在のカフェで流れるBGM的な存在とは、音楽の重みがまったく違ったのだろうと思うと、その頃の熱気が少し眩しく感じられる。リクエストする曲で、客の心情が推し量られることもあったとか。
「たとえば、マル・ウォルドロンの『レフト・アローン』。心の叫びが聞こえてくるような哀切感あふれるメロディで、女性客をジャズ喫茶に取り込んだ唯一の曲とも言われているのですが、あえてリクエストする女性がいるとグッときました」
こんなふうに矢野さんが当時を回想するとき、思い出の蓋を開ける鍵となるのはマッチだ。主に20~30代にかけて訪ね歩いた日本全国のジャズ喫茶のマッチは、矢野さんの旅の記録でもある。地方独特のジャズシーンがあったり、個性的なオーナーに出会えたりと、ジャズをテーマにした旅の面白さは尽きなかった。
長崎の「MILES」という店のマッチは、店名通りマイルス・デイビスの横顔がグラフィカルにあしらわれたクールなデザイン。この店で矢野さんは、日本を代表するビッグバンド、原信夫とシャープス&フラッツが、ニューポート・ジャズフェスティバルに出演したときのアルバムを聴いて仰天。ジャズアレンジされたソーラン節のダイナミックな音の渦に引き込まれ、日本人のジャズに目覚めたという。
「マッチを見て思い出がすべて蘇るわけじゃないけど、自分の青春のパイプラインであることは確かですね」
ジャズ喫茶がすっかり激減してしまった現在だが、残されたマッチの数々は、熱気に満ちた当時の空気感を凝縮して伝えてくれる、貴重なアイテムだと言えるだろう。
INTRO(東京)
高田馬場で現在も営業している老舗。マッチに書かれている「SMOKIN' DRINKIN' NEVER THINKIN'」は、当時のジャズ喫茶の鉄則。
SHINO(岩見沢)
渋い配色に、素朴なイラストと手書きの英文字の組み合わせが絶妙。現在は「ゴヤ」という店名で、ジャズがBGMとして流れる喫茶店に。
木馬(東京)
箱形にぴったり収められた、25字のコピーが秀逸。新宿にあり、アンティークの調度品も見事だったため、骨董ファンも通う店だった。
BIG BEAT(京都)
京都はジャズ喫茶のメッカだった街。短期間でクローズし伝説化したこの店は、マッチもデザインコンシャス。レコード盤のレーベル内に配した店名、抽象絵画を思わせる黒い線画など、ジャズっぽいイメージ満点。
DIG(東京)
写真家の中平穂積さんが初代オーナーを務めた新宿の老舗。強烈な印象を残すビュッフェの絵が店の顔ともなったマッチは、当時の若者のステイタスでもあった。現在は閉店し、ジャズライブハウス「DUG」に。
響(東京)
神保町にあった老舗。黒をベースにイラストを白抜きにし、赤い文字をアクセントにしているのが、いかにもジャズ喫茶のマッチらしい。
5-SPOT(長崎)
オーソドックスなデザインだが、ミュージシャンの写真を変えて10パターン以上を作っているところに、オーナーのこだわりがうかがえる。
JAZZ KISS(東京)
池袋にあったジャズ喫茶。マティス風のイラストが印象的な写真のマッチのほか、デザインは何パターンかあり、どれもエロティック。
HACHI(大阪)
ジャズ喫茶のマッチによく見られる黒の一色刷り。これはコスト的な理由も大きいそうだが、ジャズの雰囲気にモノトーンはぴったり。
YAMATOYA(京都)
京都のジャズ喫茶の老舗中の老舗。オールドスタイルの女性のイラストの周りに、トランペットや髑髏があしらわれているのがユニーク。
MILES(長崎)
矢野さんが日本のジャズに開眼した店。モノトーンを基調に、背景のベージュとイヤリングのセピア色を利かせたマッチデザインも秀逸。
RICH(花巻)
黒を基調に、鮮やかなオレンジが利いている。時計の針が11時を指しているのは意味がある?
BLUE TRAIN(松戸)
店名にもなっているJ・コルトレーンの曲のLPジャケットを、裏面までそのまま使用という荒業。
タロー(東京)
?マークが意味深。銀座店のほか新宿店もあり、そこではかつてアングラの芝居も上演されていた。
ふーる(札幌)
20世紀アメリカを代表する画家であるベン・シャーン風のイラストのタッチが、ジャズっぽい雰囲気。
JAMAICA(札幌)
店名を大きくあしらったシンプルなマッチ。昔は店内のあちこちに"私語厳禁"の張り紙が貼ってあったが、現在は柔らかい雰囲気に。
OSCAR(東京)
渋谷の道玄坂にあった大型店で、かつては大学対抗ジャズなどのライブも催されていた。マッチのロゴやイラストは洗練されたデザイン。
RONDO(佐賀)
ギタリストとトランペッターが、キュビズムを思わせる画法で個性的に描かれている。ジャズ喫茶にしてはカラフルな色使いも印象的。
1945年東京都生まれ。66年、東京・阿佐谷にジャズ喫茶をオープン。現在はソウルミュージック系の「鈍我楽」も経営。ジャズ喫茶マッチのコレクターとしても知られ、コレクションをWEBサイトで公開している。
http://adobensya.jp/jazzmach/jazzmachi.html