COFFEE BREAK

文化

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2020.04.16

ベートーヴェン生誕250周年 楽聖が愛した、ウィーンのカフェへ。

ベートーヴェン生誕250周年
楽聖が愛した、ウィーンのカフェへ。

 音楽を通じて人間の理想を描いたベートーヴェンの日課は、朝のコーヒーだった。立ち上がる香りから、どんな旋律を聴いていたのだろうか。

左から:当時の面影を残す店内。ウィーン最古のレストランとして歴史が刻まれた空間は、まるで舞台を見ているように思える。/中央に書かれているのが、ベートーヴェンのサイン。すぐ近くにはモーツァルトのサインも見つけられる。

18世紀の面影が残る、優雅なカフェ時間。

 曇り空の下、石畳に響く馬車のひづめの音を前奏曲に、オーストリア・ウィーンの旧市街を歩く。ドナウ川の畔から13世紀の街並みが残る路地を抜けていくと、ウィーン最古のレストラン「グリーヒェンバイスル」の看板が見えてくる。

 このレストランの開業が1447年という歴史にも呆然とするが、店内にある通称「サインの間」に驚かない人はいないだろう。壁や天井を埋めつくさんばかりのサイン。その中にはモーツァルトを始め、ベートーヴェン、シューベルト、ヨハン・シュトラウスと、ウィーンで活躍した音楽家たちの「直筆サイン」が残っているのだから。

 22歳の時にドイツ・ボンからウィーンへと居を移したベートーヴェンは、当時モーツァルトに憧れていた。この壁にサインをした時、どんなに晴れやかな気分だっただろう。また、理想主義者の厳しい一面をもつベートーヴェンだが、愛弟子のひとりであったフェルディナント・リースが、こんな人間的なエピソードを書き残している。
「ある日、一緒に昼食をとりにレストランに入った時のこと。注文と違う料理が運ばれてきたので、ベートーヴェンが文句を言ったところ、その給仕人はあまり丁寧でない対応をした。すると、かっとして料理を皿ごと給仕人に投げつけ、それをまともに受けた相手はわめき、ベートーヴェンはののしり、その光景を見た他の客はどっと笑いこけた」

 うねった髪をかき分け、岩のような顔を赤くするベートーヴェン。直情径行な人となりが目に浮かぶようだ。

左から:15世紀より続く「グリーヒェンバイスル」。/オーストリア名物料理ウィーナー・タフェルスピッツ。/ウィーンにコーヒーが伝来し、カフェが誕生したのは17世紀のこと。

GRIECHENBEISL
グリーヒェンバイスル

Fleischmarkt 11, A-1010 Wien
営業時間 11:00~24:00  無休
■ https://www.griechenbeisl.at/ja/home_jp/

ベートーヴェンと、60粒のコーヒー豆。

「ウィーン最古のカフェ」でコーヒーを楽しむ人たち。19世紀に花開くウィーンのカフェ文化は、この店を抜きにしては語れない。

 18世紀末の当時、公共の劇場で上演されるのはオペラが主で、器楽曲が演奏されるのはたいてい貴族の館やサロンを兼ねた高級レストランとなっていたという。当時はレストランとして営業していた「カフェ・フラウエンフーバー」もその場所のひとつだ。1797年にここで、ベートーヴェンが演奏会をしたという記録が残っている。即興で新しいスタイルのピアノを聴かせる若きベートーヴェンの演奏は、モーツァルト亡きあと、時代の寵児を探していた貴族たちをすぐに虜にしてしまっただろう。

 後の話になるが、ベートーヴェンが亡くなった時には二万人の市民が葬儀に参列したという。死後は病床で切られた髪の毛を含め、ベートーヴェンにまつわるあらゆるものが売られていたというのだから、人気のほどは現代のアイドルどころではない。

左から:「フラウエンフーバー」の1階にカフェが入ったのは19世紀になってから。コンサートは2階で催された。/音楽は哲学に並ぶ教養のひとつで、耳の肥えた貴族たちが集まっていた。

左から:ウィーンのカフェでは、コーヒーは銀色のトレイにのせて供される。レトロな雰囲気の店内によく似合っている。/アールヌーヴォー様式を思わせる、入り口のドア。店の外と中では、流れる時間の感覚がすっかり変わってしまう。

CAFÉ FRAUENHUBER
カフェ・フラウエンフーバー

Himmelpfortgasse 6, A-1010 Wien
営業時間 8:00~23:00(月~土)、10:00~22:00(日・祝) 無休
■ https://cafefrauenhuber.at/index.php/en/

ベートーヴェンの朝は、コーヒーとともに。

 コーヒー好きだったベートーヴェンは、毎朝自分で一杯のコーヒーをいれるのに、きっちり60粒のコーヒー豆を数えていたという。部屋は荒れ放題で、衣服は散乱し、楽譜や書類が床に落ちていたというベートーヴェンがコーヒー豆の数だけは几帳面に守っていたのだから、その存在と香りが自身にとって大切なものだったのだろう。

 ベートーヴェンも訪れていたという、1618年創業のバー・レストラン「ツム・シュヴァルツェン・カメール」。当時多くの音楽家・芸術家が集った老舗だ。ここで長年メートルとして勤める、ヨハン・ゲオルクさんに話を聞いた。ベートーヴェンのエピソードを聞いて、自分も60粒の豆からコーヒーをいれたことがあるという。「どんな香りがしましたか」と尋ねると、ヨハンさんは片目を瞑り、たっぷりたくわえた髭を触りながら「もちろん、『運命』の香りだよ」と笑った。

左から:1902年から変わらないインテリア。古き良き時代を偲ばせる。/名物のカナッペがショーケースに並ぶ。立ち飲みのバーエリアでは、これをつまみにワインが進む。

左から:営業時間中はいつも行列が絶えない。店名にもなっている「黒いラクダ」が目印の看板。/店内ではカナッペから本格的な食事、デザートまで楽しむことができる。/伝統的な衣装に、豊かな口髭でおなじみの名物メートル、ヨハンさん。創業400年を超えるここで働くことを、誇りに感じているという。彼に会いに来る常連客も多い。

ZUM SCHWARZEN KAMEEL
ツム・シュヴァルツェン・カメール

Bognergasse 5, A-1010 Wien
営業時間 8:00~24:00(バー)12:00~14:30、18:00~23:00(レストラン)12月25日と1月1日以外無休 8:00~20:00(デリカテッセン)日曜および12月25日と1月1日は休み
■ https://www.kameel.at/en/

文・写真 吉田タイスケ

Beethoven Museum
絶望を乗り越え、名作を作り続けた家。

 1792年、ベートーヴェンは22歳になる直前に故郷のドイツからオーストリアに移り住みました。以後、56歳で亡くなるまでの34年間で、ウィーンを中心に70回以上も引っ越しを繰り返した話は有名ですが、その原因はもっぱらご近所や大家さんとの揉め事だったのではないかといわれています。

 傍若無人で気難しい性格だったといわれるベートーヴェン。60粒のコーヒー豆のエピソードに代表されるような、ある種の几帳面な一面もありました。肉や砂糖、塩などの食材やお金の管理に関しても細々とうるさく口を出すので、家政婦も居つかず、すぐに辞めていったようです。また、「失われた小銭への怒り」というピアノ曲まで書いています。

 20代の後半から難聴に悩まされたベートーヴェンは、治療のために温泉のあるウィーン郊外のハイリゲンシュタットに滞在しました。彼が住んだ家は現在、博物館になっていて、別名「遺書の家」と言われています。温泉療法で難聴に効果が得られず、自殺を考えた挙げ句、弟に宛てて遺書を書いたといわれているのです。しかしそんな絶望の日々の中で、彼はここで「テンペスト」のピアノ・ソナタや交響曲第3番「英雄」の一部などを作曲しました。

左から:ベートーヴェンは写真のような反響板をピアノの上に置き、その中に頭部を入れて、音が大きく聞こえる工夫をしていた。/メーラー作の肖像画。

左から:耳の治療のためにハイリゲンシュタットの温泉水を飲んでいたとされ、温泉水を入れたボトルが並ぶ。/60粒のコーヒー豆とポットも展示されている。

ベートーヴェン博物館
Probusgasse 6, 1190 Wien
修正の跡が見られる自筆の交響曲第3番「英雄」の楽譜を始め、愛用品、デスマスクなどを展示している。

片桐卓也・談 / 牧野容子・文
更新日:2020/04/16

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