COFFEE BREAK

文化

文化-Culture-

2018.12.25

エッセイ*池辺晋一郎【音符に染み込む香り。】

 初めてビールを飲んだ時のことはよく覚えているのに、コーヒー初体験の記憶はまったくない。子どものころ、角砂糖にコーヒーを染み込ませて食べさせられるなんてこともなかった。が、気がついたら必需品になっていた。今、家で仕事をしていると、日に3、4杯は飲む。ペーパーでドリップ式。挽いた豆を買ってくる。本当は自分で豆を挽いて飲みたいので、コーヒーミルも常備しているが、何しろ常に時間に追われている。なかなかそこまではできないのが実情だ。

 忘れられない思い出を。初めてヨーロッパへ行ったのは20代初めのころだ。パリのレストランで、食事を終えたお婆さんが一人、静かにデミタス・コーヒーを一杯飲んで帰途につく。いい光景だと思った。しかし、当時ヨーロッパで若い者が出入りする安レストランのコーヒーはたいていインスタントコーヒーで、粉の入った袋と湯が運ばれてくる。それに慣れてきたころ、たまたま入ったローマのカフェで、飲んだこともない濃いコーヒーに出会った。これは、感動を通り越してショックだった。

 いったい何だ、これは?

 ヨーロッパの安レストランと同じく、家でももっぱらインスタントコーヒーだった時代だ。この濃いコーヒーはまったく別種の飲み物として、ほとんど憧れの存在になった。帰国して、あれを飲みたい。ところが何というものか尋ねるのを忘れていた。「濃いコーヒー」としか言えない。探し歩く。あちこちで聞き歩く。

 「じゃ、これじゃないですか」── カップの下部に大量の粉が沈んでいるじゃないか。何これ? トルココーヒーっていうの? 「これじゃないです」。

 シナモンや角砂糖と一緒に飲む。「ちがいます」。あれは、メキシカンだったのかな......。

 どこにも、あのコーヒーはなかった。ついに分からずじまい。一流のホテルやレストランへ行けばあったのかもしれないが、そんな場所とは無縁だ。やがて20年くらい経っただろうか。ということは80年代くらい。とっくにあきらめて、探すこともしなくなっていたが、ふつうの場所でお目にかかったのである。いつのまにか、日本にもあった──エスプレッソ。そういう名前だったのか......!

 これが、今やいつでも自宅で飲むことができるようになった。時代が変わった実感しきりである。とはいえ、エスプレッソばかり飲んでいるわけはない。ふだん飲むのは「マンデリン」。インドネシア、スマトラ島のマンデリン族が栽培をしたのに始まるという、わりあい酸味が少なめで苦味のある種類だ。だが、そうでなくてはダメなんてことはない。味にうるさいタイプではないし、何だかんだ御託を並べるのも好まない。だいたい、それほど違いが分かるわけでもない。......なのだが、ある時ベトナムへ行ったら、帰国の際に向こうの仕事仲間が地元のコーヒーを大量にくれた。これがおいしかったのである。苦味もありながら、とてもいい甘みだ。種別として何と呼ぶのか不明だが「ベトナム」でいいのだろうか。そういえば、コーヒーの種別はほとんど地名か山の名だ。モカは、イエメンの地名だし、グアテマラは国名。キリマンジャロはタンザニアの山の名前だ。日本産もないことはないと聞いているが、お目にかかったことはない。「トサ」とか「キリシマ」なんてのがあったら飲んでみたいものだ。

 アラビア地域からヨーロッパにコーヒーが伝わり、一般的になったのは17世紀中葉だが、時を経て18世紀には、「コーヒー・カンタータ」というバッハの名曲が生まれる。1732年ごろの作だ。コーヒーに夢中になった娘とそれを苦々しく思う父親とのいわば家庭争議の話。当時のヨーロッパでのコーヒーの大流行を想像できる話である。

 僕の飲みかたは、優雅なんてものではない。家では、マグカップ。どちらかというと、ガブガブだ。なのに、外で飲む時は、陶器のいい容器で、ゆっくり飲みたい。自宅近くはもとより、地方の仕事が多いので、各地に馴染みの店がある。昔ながらの「喫茶店」だ。昨今の若い人たちのように、立ってカップの蓋の小さな穴からチュウチュウ飲むのは苦手。まして紙コップでは、飲む気分にならない。あれじゃ、味も分からないです。

 というわけで、コーヒーに関して特段の話があるわけでもないのだが、にもかかわらず僕の生活におけるコーヒーの重要度は、高い。

 コーヒーで、仕事が始まる。飲むことで身体にどんなふうに作用しているのか、たしかめたこともないが、これは言ってみれば儀式みたいものだ。コーヒーによって、仕事をしようという気分が醸成される。仕事の中休みも、コーヒーに頼ることになる。五線紙に僕が書く音符ひとつひとつに、コーヒーの香りが込められているのかもしれない。

PROFILE
池辺晋一郎(いけべ・しんいちろう)
作曲家。2004年紫綬褒章受章、18年文化功労者として顕彰。主要作品に交響曲No.1~10、「死神」「高野聖」他。東京音楽大学名誉教授、東京オペラシティ・ミュージック・ディレクター、横浜みなとみらいホール館長等を務める。

池辺晋一郎

© 東京オペラシティ文化財団 撮影:武藤章

文・池辺晋一郎 / イラスト・唐仁原多里
更新日:2018/12/25

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