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COFFEE BREAK
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プルチネッラ氏が案内する こちらナポリ、人情コーヒーはいかが?
プルチネッラ氏が案内する
こちらナポリ、人情コーヒーはいかが?
コーヒーなしには夜も明けない国、イタリア。中でもナポリは異彩を放っている。道化師プルチネッラの導きで、ナポリっ子のコーヒー生活を覗いてみよう。
キィーーーヒッヒッヒ。なに? 耳障りだと? 心に響く美声であろう。ナポリのコーヒーをたくさん飲むと、聞き手の魂に響くような、こういう声になるんじゃ。自己紹介させてもらおう、私はプルチネッラ。イタリア伝統の風刺劇コメディア・デッラルタに登場する道化であるぞ。皮肉やジョークに紛らせながらズバリと物事の本質を衝く、そんな私のキャラクターがナポリっ子と重なるのかもしれぬ。いつしか私はこの街のシンボルになっておった。今日は私が案内役になって、愛する我が街のコーヒー文化をみなさんにご紹介しようというたくらみだ。
まずはナポリ一の老舗カフェ「グラン・カッフェ・ガンブリヌス」を訪ね︎よう。その前に海岸沿いの遊歩道を歩きながら、街の紹介を。ナポリは、卵城とナポリ湾とヴェズビオ火山と下町人情とでできておる。ポジッリポの丘から眺めると、この街が「劇場」であることがわかるだろう。ツーリストは観客、演じ手は火山であり、城であり、湾に浮かぶカプリ島やイスキア島。そして何よりもひと懐っこくて人情味溢れるナポリっ子たちじゃ。
さあ、着いたぞ。シャンデリアが眩しかろう。「グラン・カッフェ・ガンブリヌス」は1860年創業なんじゃ。世界中から腕利きの菓子職人が集められ、すぐに店は評判になった。90年に実業家が店を買い取ると、今度は画家を集めてたくさんの絵を描かせた。今も当時の作品が40点以上も残っているそうだ。20世紀の初めには店内の舞台でレビューが開催された。娘らのカンカンは見事だったぞ。反ムッソリーニ勢力の拠点だったこともある。芸術家のサロンだった時代もあったのぉ。オスカー・ワイルド、サルトル、ヘミングウェイ、ダヌンツィオ、マリネッティといった面々がここでコーヒーを飲み、議論したものだった。
19世紀の終わりにここで始まった「カフェ・ソスペーゾ」のことは是非とも話しておかねばなるまい。それは、富める人がコーヒー代を2杯分支払って、貧しい人に飲んでもらう施しの習慣なんじゃ。ナポリっ子の人柄が滲む、良い話であろう?
①カップの口をコーヒーで濡らす。
②カカオパウダー、コーヒーパウダー、砂糖を振りかける。熱々のカップで唇を火傷しないようにとの配慮も。
ナポリっ子がいれる純情コーヒーはいかが?
お次はスペイン地区で面白いことを始めた若者に会いに行こう。スペイン地区はかつて治安がひどく悪く、ツーリストがうろうろできるような場所じゃなかったんだが、最近は浄化されて安全になった。老舗食堂の「ピニャータ」など、ナポリっ子にツーリストが混じって、夜毎大した賑わいじゃ。
さてと、待ち合わせ場所の広場に着いたが、若者め、まだ来とらんな。(広場に面したアパートの3階の窓に向かって)おーい、ナナ! ジュゼッペを見かけなかったかね?
「彼はまだ寝てるんじゃない? 今起こしに行ってくるわ」
まったく、若者は困ったもんじゃ。さあ、降りてきたぞ。やあ、ジュゼッペ、早速支度して、わしらにとびきりのコーヒーをいれてくれんか。ジュゼッペ・スキファーノは25歳、これまで左官、バーテンダー、木工職人とあれこれやってきたが、ずっとコーヒーで身を立てたいという夢があった。1万5000ユーロを調達して屋台のコーヒースタンドを特注し、開業したのは半年前のこと。その名も「ドン・カフェ ストリート・アート・コーヒー」。洒落とるじゃろ?
ああそうだ、ジュゼッペ、わしには砂糖をたっぷりといれたやつを頼むぞ。彼のコーヒーのいれ方はククメッラというポットを使う、19世紀からのナポリ伝統の方法なんじゃ。上下2つに分かれたアルミ製ポット(ククメッラ)の片方に熱湯をいれ、中間部分のフィルター皿に粗く挽いたコーヒー豆を入れる。2つをドッキングさせ、くるりとひっくり返すと抽出が始まるという寸法だ。イタリアのコーヒーといえばエスプレッソだと思っているかも知れんが、ナポリのコーヒーは本来、この方式でいれた一種のドリップコーヒーなんじゃよ。うーん、いい香りがしてきたわい。こら、ジュゼッペ、客の女の子とイチャイチャしてないで早くわしらにコーヒーを出さんか!
この男の商売の面白いところは、コーヒーに値段を付けていないこと。「僕のコーヒーが気に入ったら、たくさん置いていっておくれ」などと言っとる。なんで値段を付けないんじゃと訊いたら、「僕にとってコーヒーは仕事じゃなくて情熱だから。情熱に値段は付けられないのさ」と来たもんだ。ナポリっ子の心意気、天晴れだと思わんかね?
②ククメッラで抽出。
③コーヒーの一部に大量の砂糖を溶かしこんで泡だてたフォームを作る。
④コーヒーにの③フォームを加えて混ぜる(左)。ストレートを好む人も多い(右)。
コーヒーショップに息づくナポリの「粋」。
ククメッラのコレクションがある店にお連れしよう。「グラン・カッフェ・ラ・カフェティエラ」はパルタンナ宮のすぐ側じゃ。ククメッラはまたの名をカフェティエラ・ナポレターナ(ナポリのコーヒーメーカー)と言う。この店の名前はそっちから取ったんじゃな。店に入ると、ほうれ、カウンターの奥にコレクションが並んでいるであろう?
元々ククメッラは今から200年ほど前にフランスで開発されたんだが、当初は赤銅製だった。それがナポリに渡ってきて、安価な錫合金で作られるようになった。ナポリは元来庶民的な街じゃからな。ジュゼッペのところで「19世紀からの伝統」と説明したのはこの時代の話だ。さらに時代が下って、アルミ合金やステンレスに取って代わられたと言うわけじゃ。こういう店にはやはり赤銅製が似合うのぉ。︎
さて、最後にご紹介するのはダンテ広場の向かいにある「カッフェ・メキシコ」じゃ。相変わらず、この界隈は大勢のナポリっ子と観光客で賑わっておるわい。ボンジョルノ、シニョーラ・モニカ、今日も卵城のようにお美しいですなぁ。経営者ファミリーの一人、モニカ・スガンバーティさんじゃ。この店は1940年代に焙煎所からスタートした。コーヒーショップを開いたのは52年。支店が市内に2軒ある。なんで「メキシコ」なのかって? シニョーラ、そのわけを教えていただけぬかな?
「開業した時、すでに〝ブラジル〟という名前の店がナポリにあったのよ。それで先代が、ブラジルじゃなきゃメキシコだろうって。メキシコのコーヒーを売ってるわけじゃないし、行ったこともない。メキシコは私たちにとっちゃファンタジアよ」
ここではククメッラではなく、お馴染みのエスプレッソマシーンでコーヒーをいれる。ナポリっ子たちはダラダラと時間を潰したりはしない。熱いコーヒーをキュッと飲んで、サッと立ち去るんじゃ。あの味気ないユーロ硬貨が登場するまでは、客はコーヒーを注文する時、カウンターに200リラコインをさりげなく置いたものだった。少額のチップだが、バリスタたちは、ひときわ気合を入れて魔法のようにうまいコーヒーをいれた。ナポリの「粋」とはそういうものなんじゃよ。
①フィルター付きの容器に挽いたコーヒー豆を入れる。
②③ポットの下段に熱湯を注ぎ、①を装着する。
④注ぎ口の付いたポット上段を装着(この段階では注ぎ口は下を向いている)。
⑤⑥くるりとひっくり返すことで元々下段に入っていたお湯が落ち、コーヒーの抽出が行われる。
⑦待つこと数分。お湯が全て落ちたら、出来上がり!