COFFEE BREAK

文化

文化-Culture-

2019.04.26

コーヒー栽培にかける、熱い思いに導かれて。

ペルーの人々とともに営むコーヒー農園
コーヒー栽培にかける、熱い思いに導かれて。

高橋さんの農園は、ペルー北部で、アンデス山脈の東側のアマソナス県ロドリゲス・デ・メンドーサ郡チリモト地区のアチャマル村に位置する。

南米・ペルー北部の辺境の地で、コーヒー栽培と地元のコーヒー産業の発展に尽力する日本人生産者を訪れた。困難を乗り越えて臨むコーヒー生産をレポート。

 南米第3のコーヒー生産国ペルー。中でもその北部は、質の高いコーヒー豆の生産で、近年、主にヨーロッパから注目されている。北部アマソナス県のコーヒーの里で、生産と地域の発展に尽力する高橋克彦さんを訪ねた。
 リマの空港からプロペラ機に乗り換え、古代文明のクエラップ遺跡で知る人ぞ知るアマソナスの県都チャチャポヤスへ約2時間。そこから乗り合いヴァンで2時間半進み、たどり着いたメンドーサから更に1時間半、未舗装の陸路を激しく揺られて高橋さんの農場のあるアチャマル村にたどり着いた。
 高橋さんのコーヒー農園を訪れたのは昨年の8月上旬。収穫期の半ばとあって、伝統的なコーヒー収穫用布袋アルホルハを肩から下げて、熟したコーヒーの実を摘む農夫たちの姿があった。
「うちの農地は2.5ヘクタールで、僕と義理の弟と隣人の3人で収穫しています。この地域のコーヒー農園はどこも小規模で、家族経営が基本です」と高橋さん。現在は、約4000本のコーヒーノキを栽培している。
 アマソナス県のこの地域は、アンデス東部山脈とアマゾンの熱帯雨林の間を走るウァヤバンバ渓谷に位置する。水資源と気候に恵まれた土地について高橋さんは「植えれば何でもできます」とその肥沃さを誇る。しかしその反面、インフラの整備が遅れ、資金力のない生産者が多い地域社会の現状に、すべきことは沢山あると語る。この村に電気が通ったのは2009年で、ちょうど高橋さんが農地を購入しコーヒー栽培を始めた年だった。

左から:高橋さんの農園での収穫風景。無農薬無化学肥料の日陰栽培だ。農夫が肩から下げるのがアルホルハ。コーヒーの実を入れる袋が前後にある。/妻の家族と高橋さん。

左から:コーヒーの花。/高橋さんが「張りがあって元気だ」と評した昨年のゲイシャ種コーヒーの実。/エチオピア原産のゲイシャ種は、収穫量が少ないが、個性的な芳香によってパナマで再評価され、世界で一躍名を轟かせた。

日本での職を辞して臨んだ、未経験のコーヒー栽培。

畑への植え替えを待つコーヒーノキの苗。

 高橋さんのペルーとの縁は、前職でのペルー人の同僚の誘いで、25歳でリマを訪れたことに始まる。その後、リマで知り合った女性と結婚して日本で暮らすが、妻の実家や地域のために働きたいという志とともに、2007年に辞職してアチャマル村に渡った。
 妻の家族の助力もあって農地は購入できたが、コーヒー栽培は未経験。知人の助言や書籍の情報が頼りだった。
「この村で僕が受け入れられたのは、妻の家族の存在に加えて、コーヒー豆の仲買人としてでなく、生産者として仕事をしているからです」と高橋さん。実際に、取材中の隣人や妻の家族との会話に、高橋さんが地域で高く信頼されている様子が見受けられた。
 ペルーでの活動と並行して日本では、家族の暮らす鎌倉にコーヒー専門輸入会社を構え、大学での講演などを通じて、地道に販路を築き上げてきた。

コーヒー畑の全滅を経て、新たな品種で再起。

 コーヒー栽培を始めて今年で11年目になるが、最大の困難は2012、2013年に中南米を広く襲ったさび病の大流行だった。高橋さんの農園では、当時栽培していたティピカ種のコーヒーノキ2500本が全滅した。
「ようやく初の収穫なのになぜ? コーヒー栽培はやめておけと暗示されたような気分でした」と当時の困惑を振り返る。当然、資金面の困難も伴った。それでも、コーヒー栽培にかける強い思いを曲げず、それを家族が応援した。
 品種を変えようと注目したのが、2007年に国際品評会で世界最高の落札価格を記録したパナマのゲイシャ種だった。これをペルーに持ち帰った生産者から苗木を売ってもらって、この新たな品種の栽培に取り組んだ。
「ゲイシャは、いまのところ日本にだけ輸出しています。今回の豆は張りがあって元気です」と真紅に輝くコーヒーの実を木からもいで見せてくれた。ティピカ種に比べて、香り高く個性が強いというのが高橋さんのゲイシャ種の評価だ。現在ゲイシャ種は1500本を栽培。2017年の初出荷を経て、昨年は400㎏を出荷した。
「本格的な栽培はこれからです」と2年目となった新たな品種の収穫に、大きな手応えを感じているようだった。

左から:収穫作業の休憩時間に地元の農夫たちは、乾燥したコカの葉を粉末状の石灰とともに咀嚼する。疲労感と空腹感が薄れるそうで、アンデス地域では広く嗜好されている。その間、高橋さんはコーヒーの実の出来具合を確認。/ウァヤバンバ渓谷での収穫期は4月から11月まで。/収穫したコーヒーの実は、その日に果肉除去機にかけて、外皮と果肉を取り除く。

左から:豆は一晩寝かせて自然発酵させる。/翌日発酵の進んだ豆を4度水洗いしながら良質のものだけを取り出す。洗うたびにぬめりが取れる。主に女性が担う作業だ。/洗浄後の豆は陰干しにする。高橋さんの家族のお宅では、屋根裏のスペースで乾燥させる。

中南米を襲った、コーヒーさび病。

左から:さび病の症状がみられる葉。/ティピカ種が全滅し、ゲイシャ種の植え替えを行う畑。

コーヒーさび病は、コーヒーノキの葉に褐色の斑点を付け、光合成を妨げて木を枯らす伝染病だ。空気中に漂うさび病の胞子は、雨により葉に付着し、最悪の場合には農園から農園へ、国から国へと流行する。2012、2013年の中南米での流行は、気候変動による雨量の増加が原因だと言われている。それにより中米では収穫予定量の1/3が失われ、ペルーでは国全体で1億3500万ドル相当の損害となった。

コーヒー組合が目指す、持続可能な社会。

左から:ウァヤバンバ渓谷に位置する人口およそ300人のアチャマル村。標高約1500mで、水資源、気候に恵まれたコーヒー生産に適した環境だ。/コーヒーの組合が集まるメンドーサ。通行人に「日本人の組合はどこ?」と尋ねてアプリサにたどり着けた。高橋さんはここで広く知られた存在だ。

左から:アプリサ事務所。収穫期には生産者が続々と納入に訪れる。中では山積みになったコーヒーが出荷を待つ。/組合員をまめに訪問して相談に応じる高橋さん。/地元大学の農学部出身の組合職員が生産者の農園を訪れて、近況を調べて記録を取って回る。

 農村から都市への人口流出は、世界で恒常的な現象だ。アマソナス県でも、より良い収入を求めて首都リマへ出ていく若者は絶えない。
 高橋さんは、雇用創出を第一の目的に、2014年に地域のコーヒー出荷拠点であるメンドーサにアプリサ(アマソナス統合的持続可能生産者組合)を発足した。組合員は、妻の実家周辺の農家への勧誘で集まった14世帯から始まり、4年間で220世帯まで増えた。
「正直者が馬鹿を見ない組織作りがしたかったのです」と高橋さん。
 山間での有機栽培で、増収を目指すには、量より質の向上が不可欠だ。生産の改善について相談は絶えることがなく、高橋さんは農園と組合とを結ぶ悪路を走りながら、ハンドル片手に組合員からの呼び出しに携帯電話で応じることがしばしばだ。乞われれば日没後も、生豆の乾燥状態の確認などのために生産者のもとに駆け付けている。
 組合員は各自の責任でコーヒーの栽培、乾燥、納入を行う。不良な生豆の割合や、乾燥の程度は数値化され、それに見合った金額が納入時に支払われる。

左から:生豆を組合に納入する生産者。/輸送業者への出荷前に、品質保証のために生豆のサンプルを採取。/リマに向かうコンテナにコーヒー袋を積み込む。こうして日本にも輸送されるのだ。

コーヒー生産者の、自助努力を促す組織作り。

 アプリサでは独自の基準でコーヒーの生豆をABCにランク付けしており、最良のAと普通のBとを海外輸出している。ランク付けの過程では、組合と生産者とでもめることもあるそうだ。
 Bランクの生豆を生産する組合員が、いかにしてAランクを生産できるか、その指導に高橋さんは尽力してきた。前職の自動車部品メーカーで培った品質管理や生産性向上の知識を組合の運営に生かし、発足5年で顧客からの苦情をほぼゼロにすることができた。アプリサは、生豆を積んだコンテナを輸出業者を通じて年間で20数台、海外に発送している。大方が欧米に向かう中、現在は1台限りが太平洋を渡って日本に輸送されている。
「5年かけて日本向けのコンテナがいっぱいになるようになりました」と、日本からの需要も増えている様子だ。
 アプリサの職員は現在6人。大方がコーヒー農家出身の若者で、地域産業に誇りを持って職に臨んでいる。
「アプリサは、生産者が自助努力で、持続可能な社会を構築し、発展させていくことを目指しています。生産者が常に良質なコーヒーを栽培していくことがそれを可能にします」と高橋さんの口調は穏やかながら、その志は熱い。

左から:訪問した組合員の家屋で生豆の出来を確認する高橋さん。/地域産業の未来を担うアプリサ職員たち。海外の国々とつながる仕事は、職員たちに喜びと誇りを与えている。

文・写真 仁尾帯刀
更新日:2019/04/26

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