COFFEE BREAK

文化

文化-Culture-

2017.08.10

エッセイ*金田一秀穂【コーヒーをいれる。】

 30歳を過ぎて、ようやく自分で生計を立てられるようになった。やっと一人前になれたのだが、さほど満足を感じられるものではなかった。うれしかったのは、少しは自分で勝手に生活のデザインができるようになれたことだった。と言っても、経済的な余裕があるわけではない。食生活に、少しだけわがままを言うようになったのだ。

 ずっとしたかったのは、毎日家でコーヒー豆からコーヒーをいれること。それまではインスタントでがまんしていた。あるいは週一度ぐらい喫茶店で飲む。それが自宅で好きなだけ作ってよくなった。自分で生計を立てることには、このような余慶がある。

 自分でコーヒーをいれるについて、しかし、あまり難しいことは言わない。

 コーヒーミルは買わない。美味しさの決め手は、豆が炒りたてであることであって、家で豆を粉にしても、古い豆では美味しくない。自分で豆を炒るほどの技術はない。新しい豆を買うこと、その場で挽いてもらうことが大切であると、行きつけの店で教えられたのだ。
 粉の値段は美味しさと比例しない。安いものはたくさん売れているので、新鮮である確率が高い。したがって美味しい確率も高い。その店のミックスとかブレンドでよい。

 いれるのはパーコレーターでもドリップでもサイフォンでもいい。パーコレーターは日本ではあまり人気がないようだが、缶入りのコーヒー豆にはとてもよい。何より、簡単である。ドリップは布がいいように思ったが、臭いがつきやすいので、紙を使う。後片付けが楽だけれど、手が離せなくなるのは少し面倒である。

 そんなわけで、市販の豆は、ほとんどなんでも許容範囲なのだ。いわゆるコーヒー通ではない。ただ、台所に醤油やみりんを絶やさないのは家人の仕事だが、しかしなぜかコーヒー豆はいつも私が買うことになっている。至極当然の意見を述べているだけだと思うのだが、コーヒーについての私のポリシーが家人には面倒くさいらしい。

 以来数十年、気づいたときに私がその場で買って帰る。近所の商店街であったり、デパートの地下であったり、小売りをしてくれるコーヒー店であったり。

 はじめは試しに買うつもりだったのだ。いつか美味しい店が見つかる、いつか美味しいミックスが買える、そう思っていろいろ試していたのだが、いまだに決まった店がない。確実に美味しい店を知っているが、そこまで行くのが面倒である。二度と買わない店はあるが、それはあまり生産的な情報にならない。あまり言いたくないのだが、白状すると、実は味覚に自信がないのだ。『お食辞解』などという単行本を書いておきながら、ほんとうのことを言うと、いわゆるグルメではない。食いしん坊であることでは人後に落ちないが、駅前の立ち食いそばが、ひどく美味しく思えてしまう人間でもある。

 若かったころ、ある店の常連になることにあこがれた。ただの格好つけで、いつもグァテマラを頼んでいた。ブルーマウンテンに一番近い味であるという耳からの知識を鵜呑みにしたのだ。ただ、ブルーマウンテンは高いので、そんなに味がわかるほど頼めない。それで、グァテマラがどのくらいブルーマウンテンを感じさせるのか、わからないままだった。

 あるとき、ブラジルというのを飲んで、好きだなあと思ったのだが、それが、豆によるのか、いれ方によるのか、焙煎そのほかの条件によるのか、あるいはそのときの時間や乾燥度や気温などの気候によるのか、わからない。サントスというのもあって、サンパウロから近い大きなコーヒー出荷港であるが、それがブラジルと同じなのかどうかもわからない。なまじ知識があると、考えなくていいことまで考えなければいけなくなって、不幸である。

 とてつもなく高価なコーヒーがあるけれど、その美味しさは、多分わからないに違いない。一度だけ飲んだ通常の5倍の値段のコーヒーは、どう考えても普通のコーヒーだった。話のタネになっただけだった。

 コーヒー豆の利き飲み大会とかいうのがあるらしいけれど、まったく自信がない。ハワイとかロブスターぐらいはわかるかもしれないが、だからといって、どうか試さないでほしい。舌の感覚の優れた人というのがいるが、美味しいまずいがいちいち全部わかってしまって、一喜一憂しなければならないのは気の毒である。同情にあたいする。

 コーヒーが好きなのは、香りと味がいいというだけで、実は、コーヒーに伴うさまざまなオプションが好きなのだ。それを含めた全体がいいのだ。

 喫茶店の店構えや働いている人たち、お客さんたちの立ち居振る舞い、話し声や何気なく聞こえてくる話柄、家で飲むときのカップやスプーンなどの触れ合う音、その日のこれからの予定や、今進行している作業の進み具合、添えられる菓子などとの調和具合、自分の来し方行く末、何よりも、自分でコーヒーをいれる時間があることの余裕。

 暇を謳歌するには、コーヒーをいれるに限る。

PROFILE
金田一秀穂(きんだいち・ひでほ)
1953年東京生まれ。国語学者、杏林大学外国語学部教授。東京外国語大学大学院修了。中国大連外国語学院、米イェール大学、コロンビア大学など、海外での日本語教育経験も豊富。テレビでもわかりやすく楽しく日本語を語る。
金田一秀穂

文・金田一秀穂 / イラスト・唐仁原多里
更新日:2017/08/10

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