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COFFEE BREAK
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エッセイ*片岡義男【タヒチ・パペーテの、インスタント・コーヒー。】
観光旅行をまったく感じさせない、簡素にまとまった静かなホテルだった。朝食も夕食もおなじ食堂で食べた。宿泊の三日目に、朝食に降りて来た同行の写真家は、小さなカメラ・バッグを掲げてみせ、
「今日は町のなかをぶらぶら歩きましょう。荷物は少なくしました」
と笑顔で言った。
雨になりそうな曇った朝だったが、時間がたつにつれて晴れてきた。陽ざしのなかを僕たちは歩き、スーパーマーケットのウィンドーに貼ってあるポスターを写真に撮ったりした。ヒナノというビールのラベルに描かれた女性を接写したから、場所はタヒチのパペーテだった。
午前十時を過ぎて、おやつの時間になった。コーヒーを飲みたい、と写真家は言った。僕もコーヒーには賛成だった。町はずれを歩いていた僕たちは、道ばた、という言い方のふさわしい場所に、食堂を見つけた。木造平屋建てのまんなかに入口のドアがあり、その左右は煉瓦敷 きあるいは板張りだったか、もはや記憶にはないが明らかにデッキであり、丸いテーブルとその椅子がいくつも置いてあった。テーブルの上にはメニューがあった。
デッキに上がって椅子にすわった僕たちが話をしていたら、ポリネシア系の大きな体をした若い女性があらわれ、僕たちを不思議そうに見た。朝食には遅く、昼食にはまだ早い時間の、異国からの客だった。
「コーヒー、ふたつ」
と写真家が英語で言った。うなずいた彼女は、
「砂糖とクリームは」
と訊ねた。
写真家は
「ノー」
と言い、僕は、
「ノー、サンキュー」
と答えた。その僕にだけ、愛想のない彼女は、ほんの一瞬、きわめて可憐に微笑した。
しばらく待つと彼女が正面のドアからデッキへ出て来た。でこぼこした大きなやかんを片手に下げ、もういっぽうの腕では、外国にはあるけれど日本にはいまもない、徳用サイズの大きなインスタント・コーヒーの瓶をかかえ、ふたつのカップに指を入れて持ち、どちらのカップ にもアルミニウムのスプーンが入れてあった。僕たちのテーブルにそれらを無言で置いた彼女 は、無言のままドアから建物のなかに消えた。
コーヒーふたつとは、徳用サイズの瓶からインスタント・コーヒーの粉末をスプーンですくってカップに入れ、やかんのお湯を注いでスプーンでかきまわし、これも確かにコーヒーだと思いながら飲む、僕と写真家それぞれの、インスタント・コーヒーだった。
徳用サイズの瓶には、インスタント・コーヒーの粉はもう残り少なかった。写真家はスプーンの柄の端をつまんで腕を瓶に差し込み、インスタント・コーヒーをすくい取った。僕は瓶を平らにして、底にわずかに残った粉を手前に寄せて、スプーンですくった。
僕がコーヒーを初めて飲んだのは十歳くらいのときだった。それから現在にいたるまで、飲んだコーヒーは数えきれないけれど、コーヒーへの愛の根底にいまも静かに横たわってその輝きを失っていないのは、四十数年前のパペーテでの、このインスタント・コーヒーだ。
パペーテのスーパーマーケットで大量に販売されていた、徳用サイズのひときわ大きなガラス瓶のインスタント・コーヒーは、ハワイでもアメリカでもしばしば見かけた。やがて日本にも登場するかと期待していたのだが、インスタント・コーヒーの瓶は小さくなりはすれ、大きくなることはついになかったようだ。ひょっとしたら現地でもすでに姿を消しているかな、という小さな不安に対抗する手段として、あのインスタント・コーヒーの大きな瓶入りを現地へ買いにいく、ということを僕は思いついた。
思いついたなら実行しないと気がすまないから、僕はきっといくだろう。現地に到着したならすぐに地元のスーパーマーケットへいき、インスタント・コーヒーのスーパー・エコノミー・サイズを、ふたつ買いたい。日本では聞いたこともないような特売ブランドがあるはずだから、それを二種類、買うのだ。深さが三十五センチほどの瓶をふたつかかえて、エクスプレス・レーンに僕はならぶ。
1939年生まれ。作家。早稲田大学在 学中にコラムの執筆や翻訳を始め、 74年『白い波の荒野へ』でデビュー。 75年『スローなブギにしてくれ』で 野生時代新人賞を受賞。以降、小説、 評論、エッセイ、翻訳など著作多数。
http://kataokayoshio.com/