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COFFEE BREAK
文化-Culture-
エッセイ*石黒浩【私のコーヒー遍歴。】
私がコーヒーに興味を持ったのは、大学生のときである。私は美術クラブに所属しながらコンピュータの勉強をしていた。当時は、コンピュータの専門家を目指していたというよりは、画家になりたかったのだ。美術クラブの先輩の一人に、コーヒーの好きな男がいた。たいてい下宿にいて、こたつに入って物静かにテレビを見たり新聞を読んだりしていた。そこには、私も含めいろんな人が出入りしていた。ただ、みんな一緒にこたつに入って、テレビを見るためだけに来る。いわばくつろぐために、みんなやってきてしばらく時間を過ごして去って行く。部屋には小さいこたつが1つしかないから、3、4人でいっぱいになる。新たに来た人は無理に入らずに、「また来る」と言って帰って行く。何かすごくこぢんまりした喫茶店のような場所だった。
先輩は、コーヒー豆を手回し式ミルで挽いてドリッパーに入れ、ヤカンで沸かしたお湯を注ぎながらゆっくり濾してコーヒーをいれていた。私も時折豆挽きを手伝って、コーヒーをごちそうになった。そのコーヒーはなぜかすごく美味しく感じられた。それまでは、コーヒーをほとんど飲んだこともなく、また、美味しいとも思っていなかったのだけれど、そのとき初めて、コーヒーの美味しさに気がついた。
それ以来、時折自分の中でコーヒーのブームが訪れる。次に訪れたのは、画家をあきらめ本格的にコンピュータや画像認識の研究に取り組み出した頃である。当時は、サイフォン・コーヒーに興味を引かれた。サイフォンでいれるコーヒーと、ドリップするコーヒーの味はさほど差がないように思うのであるが、サイフォンでいれると特別に美味しいように感じた。コポコポとお湯が沸いて、そのうちにコーヒーができ上がっている。コーヒーのマジックのようにも思えて、その様子をずっと眺めていた。研究にも生活にもまだ時間の余裕があった時代だ。でも、何時しかサイフォンも使わなくなった。
次にやってきたコーヒーブームはエスプレッソだった。人工知能やロボットの研究に本格的に取り組んだ時期で、アメリカにも1年滞在した。それまでは、そんなきついコーヒーなんて飲めないと思っていたのだけど、何度か飲むと、癖になった。それで、イタリア製のエスプレッソマシンまで購入して、一日に何度も飲むようになった。エスプレッソマシンもサイフォンとちょっと似たようなところがある。挽いた粉を詰め込んで、一気に蒸気で抽出する。粉の詰め方が若干難しい。綺麗に詰めて蒸気を通した後、綺麗に固まっていると何となく満足に思えるものである。以前にもまして研究は忙しくなってはきたが、コーヒーを楽しむ時間は十分にあった。
また、蒸気を通す器具(エスプレッソマシンについている)を使ってミルクがうまく泡立つと、またそれも何となく満足感をもたらしてくれる。うまく泡立ったミルクでカプチーノを作ると、そのカプチーノの味は特別な感じがする。いずれにしろ、なぜかは解らないが、手間をかければかけるほど、コーヒーは美味しいと思えるようになっていく。
アメリカから戻り、今のアンドロイド研究に繋がる、人と関わるロボットの研究に取り組み出した。その頃から次第に研究の規模も大きくなってくるとともに、エスプレッソを飲む頻度が増していき、マシンで作ることが面倒になってきた。コーヒーを作る儀式よりも、コーヒーを飲むことの方が大事になる。そこで、フレンチローストという深煎りのコーヒー豆を買ってきて、一日に飲む量をまとめて電動ミルで一度に挽き、一気に大量のコーヒーを作って、保温もできるタンブラーに入れて持ち歩いていた。この時期はずいぶんと長く続いた。10年近く続いたと思う。完全に習慣になっていた。
そして、アンドロイドの研究が世界的に注目を集めるようになると、さらに仕事が忙しくなる。ドリップでコーヒーをいれることさえ面倒になって、今は、薄いインスタントコーヒーを1日に2~3杯か、それ以上飲むようになってしまった。もちろん今でも、エスプレッソやカプチーノは大好きで、喫茶店では好んで注文する。ただ、インスタントコーヒーの味も、昔よりずいぶんよくなったように思える。
このようにして、私のコーヒーの好みは、年齢や住む街や仕事の忙しさ等と関係しながら、次第に変化してきた。そして、今後もう少し時間ができてくれば、再び、コーヒーのいれ方にこだわった飲み方に戻るような気がしている。今はとにかくコーヒーがあればいいという飲み方で妥協しているが、いわば折り返し地点で、これから再びコーヒーの真の美味しさを思い出しながら、研究の深さをもう一度探しなおすかのように、飲み方にこだわる時代が来ると思っている。
1963年生まれ。大阪大学基礎工学研究科教授(特別教授)、ATR石黒浩特別研究室室長。大阪大学基礎工学研究科修了、工学博士。アンドロイドの研究に従事。著書に『どうすれば人を造れるか』(新潮社)など。