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COFFEE BREAK
文化-Culture-
コーヒー歴史トリビア・クイズ【英国コーヒーハウスの隆盛と受難編】
謎めいているからおもしろい!コーヒー歴史トリビア・クイズ
〈英国コーヒーハウスの隆盛と受難編〉
Question1
17世紀、英国で誕生したばかりのコーヒーハウス数軒の壁に「コーヒーハウスの定め並びに心得」が貼り出された。その中で「○○する者あらば12ペンス没収す」として、客に罰金を課したコーヒーハウスにふさわしくない振る舞いとは、つぎの3つのうちのどれ?
a コーヒーをこぼす
b ビールを持ち込む
c 悪態をつく
Answer1 c 悪態をつく
コーヒーハウスは社交と議論の場として、瞬く間に流行した。そこにはあらゆる階級の人々が自由に出入りすることができたので、経営者たちは客同士のトラブルを避けるために、客の振る舞いに制限を設けなくてはならなかった。「定め並びに心得」には、他にも「店内で喧嘩始めたる者あらば、コーヒー1皿を全員に振る舞うべし」「紳士階級の方、商人の方、当店にてはどなたも歓迎す。一同共に座るは無礼ならず」「神聖なること、触れてはならぬ。聖書もしかり」「涙もろき恋人たち、店内隅にて嘆かずして、全員快活になりて語れ」「国家の事柄、見当外れに論ずべからず」「あらゆる冗談、後悔なきよう」といった"ルール"が記されていた。
Question2
コーヒーハウスの流行を非難する動きを起こしたのは、ある店の経営者たちだった。ある店とは?
Answer2 パブやビアホール
コーヒーハウスが登場してすぐにあらゆる階級の知識人を魅了し、流行した理由の最たるものは、それ以前には一般の英国男性が集まることのできる公共の場所がパブやビアホールくらいに限られていたこと。そこに、コーヒーという酔いを伴わない飲み物を提供するパブリックスペースが登場し、多くの人々が歓迎したというわけだ。コーヒーハウスに客を取られ、商売が急激に傾いてしまったパブやビアホールの経営者は、この新しい社交場とそこで出されるコーヒーを目の敵にし、非難・攻撃を加えるようになる。
Question3
1663年に登場した風刺ちらし「一杯のコーヒー、あるいはコーヒーの本質」はコーヒーがいわれのないそしりを受けた時代があったことを示す証拠のひとつだが、この中で、コーヒーを貶す一方で、それとは対照的に「純なる飲み物」と賛美しているものは次の3つのうちどれ?
a 紅茶
b ビール
c ワイン
Answer3 c ワイン
ちらしでは、コーヒーとそれを飲む者に対しては「忌まわしき飲み物」「煤のシロップ、古靴の煮汁なり」「男並びにキリスト教徒をトルコ人に変えるなり」「罪犯せど、飲み物のせいと言い訳す」と罵る一方で、ワインについては「神々も飲みたる純な飲み物、人々飲す。芳醇なる葡萄酒により純化される」と持ち上げている。"キリスト教徒をトルコ人に変える"という表現に表れているように、コーヒーを非難する人には、ワイン=キリスト教の飲み物、コーヒー=異教徒の飲み物という先入観があったようだ。
Question4
Q3で触れた風刺ちらしと同じ時代に、「コーヒーを難じる女性からの請願」が世に出た。この請願で女性がコーヒーを非難した理由とは?
a 夫がコーヒーハウスに入り浸ってなかなか家に帰らない
b コーヒーの飲み過ぎで夫が男性不妊症に
c 夫の飲むコーヒー代が家計を圧迫する
Answer4
a 夫がコーヒーハウスに入り浸ってなかなか家に帰らない
b コーヒーの飲み過ぎで夫が男性不妊症に
このちらしには次のような副題が付いている。「萎えさせ衰弱させる飲み物の飲み過ぎによりて、性生活に生じたる大いなる不如意を世間に訴う」。コーヒー飲用とインポテンツの間に医学的な因果関係は現代においても認められない。当時の妻たちは夫がコーヒーハウスに入り浸るのを嫌って、性的不能という濡れ衣をコーヒーに着せたのだろう。ちらしの本文には「夫たるもの家庭には、何杯かのコーヒー飲みに行きたるため、途中、立ち寄るにすぎず」と記されている。このちらしは数年後に国王がコーヒーハウスを弾圧するきっかけになったと言われるが、すぐさまコーヒーを愛好する男たちから反撃のちらしが制作され、そこには「先頃男性に投げかけられたる誹謗、見当外れにて、そのビラ破廉恥なり」と記されている。
Question5
英国のチャールズ2世国王によって1675年12月29日に公布されたコーヒーハウス閉鎖令は、国民の総スカンに遭い、後日別の布告によって撤回されることになる。最初の閉鎖令が出てから撤回されるまで、どのくらいの期間だった?
a 10日間
b 1年間
c 5年間
Answer5 a 10日間
国王の最初の布告に対して、あらゆる党派の男たちが、それぞれの溜まり場(コーヒーハウスは政治論議が盛んに行われる場所だった)が奪われることに猛反対。またコーヒー業者たちは布告によって国王の収入が大幅に減少すると説明した。事実、コーヒー販売の収益にかかる税金は莫大で、国王の重要な収入源だったのだ。1676年1月8日、先の布告からわずか10日後に国王は「来る6月まで営業を続けることを認める」という布告を行う。この"延期処分"は国王のメンツを守るためのもので、事実上はコーヒーハウス閉鎖令の撤回を意味した。短期間に出された2つの布告は、歴史上まれにみる失政の例であるだけでなく、「言論の自由」を求める戦いが権力に対して勝利した歴史的な事件であった。
Question6
17世紀英国のコーヒーハウスは"ペニー大学"と呼ばれることがあった。他人の話を聞ける偉大な大学であり、店に入る費用はわずか1ペニーだったから。そのようなコーヒーハウスで生まれたとされる、現代でも世界中でポピュラーな習慣とは?
Answer6 チップ
当時のコーヒーハウスは多くが建物の2階にある大きな部屋だった。客は階段を上ってコーヒーハウスに入っていった。コーヒーは1杯2ペンスで、これには新聞代と灯りの費用が含まれていた。常連客には決まった席があり、カウンターの美女や店員から特別扱いされた。部屋の片隅に真鍮で縁を補強した箱がぶら下げられ、常連客たちは店員のために小銭を投げ込むことになっていた。この箱に書かれた「確実に素早くサービスを受けるために(To Insure Promptness)」の頭文字をとってチップ(tip)となったという。