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COFFEE BREAK
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エッセイ*福岡伸一【朝のコーヒーの香りに、最良の日々を思い出す。】
ある特別な香りが、特別な記憶と密接に結びついていることがある。私の場合、それはコーヒーの香りである。朝、どこか広い、殺風景な場所で、どこかから漂ってくるコーヒーの香り。嗅覚は生物にとって重要な知覚である。
現代人は視覚情報が優位の世界に生きているが、地球の生物全体で考えてみると、嗅覚をもっとも重要な手がかりにして行動している生き物が圧倒的である。においがあれば、食物のありかがわかる。あるいは潜んでいる危険や敵を知ることができる。逆に、味方やパートナーも嗅ぎ分けることができる。嗅覚が優れている点は、対象物が見えなくとも、その存在を察知できる点にある。これが視覚を補って余りあるところ。においの濃度勾配、グラデーションが情報の手がかりとなり、対象物に接近すること・遠ざかることが自在にできる。ヒトの場合は、もはやにおいだけでは目的地にたどりついたり、異性を探しだしたりすることは困難になっているけれど...。
理系の人間が一人前になるためには長い準備期間が必要となる。大学4年、そのあと大学院が5年。そこでようやく博士号を取得することになるが、博士の資格は偉くもなんともない。いわば運転免許証のようなもの。これを得てはじめて公道で運転ができる。でも初心者が運転に習熟するための修行期間がある。これをポスドク(ポストドクトラルフェロー)という。大学や研究所などに傭兵として雇われ、安月給でぼろぞうきんのように働かされる。
アメリカではこれを「ラブスレイブ(研究奴隷)」と呼んでいた。ラブには、実験室(ラボラトリー)という意味と、愛(ラブ)という意味がかけてある。ほんとうは愛の奴隷だったらよかったのに、という自嘲が込められている。
私は、ボストンにあるハーバード大学医学部でポスドクをしていた。ここは病院が併設されていてカフェテリアが24時間オープンしていた。ポスドクや医者の卵が、早朝から来たり、深夜に食事をしたりするので、いつも開いていた。私も早朝に行った。といっても早起きしたわけではなく、徹夜実験が明けるのである。だだっ広い、殺風景な朝のカフェテリア。奥の厨房にある大きな釜のようなコーヒーメーカーでコーヒーが沸かされている。そこから濃厚なコーヒーの香りが漂ってくる。それを嗅ぐと、ああ、今日もまたぼろぞうきんの一日が始まる、研究は思うようにはかどっていない、というなんともやるせない気持ちになった。アメリカのポスドクは、日本人や中国人、インド人などの〝外人部隊〟が中心だった。ボスの下でひたすら働いて成果を出さなくてはならない。うまく研究が進まないとボスに叱られる。朝はたいてい憂鬱な一日の始まりになる。
ハーバードに行く前には、ニューヨークのロックフェラー大学でポスドクをやった。有名観光スポットのロックフェラーセンターではなく、アッパーイーストサイドのひっそりとした場所にある。20世紀初頭、野口英世が留学していたところでもある。構内には野口英世のサインや胸像が残っている。ここで私のポスドク時代がスタートした。ポスドクの給料は年間2万ドルほど。今もさほど変わっていないのではないか。ニューヨークに住んだら、どんなボロアパートでも、家賃だけで半分以上が消えてしまう。実際、大変な窮乏生活で、格好も着の身着のまま、大学から深夜、とぼとぼと歩いたり、地下鉄に乗ったりしたが、危険なことは何事も起こらなかった。スリも強盗もいたはずだが、どうやら同じ側の人間だと思われていたようだった。
そんな大学の「奴隷市場」で働いていたときに、ほかに楽しみもないので、碁盤の目のようなニューヨークの通りを、あみだくじを選ぶように、毎回違う街路を通って歩いた。あるとき白亜の大理石の御殿のような建物がいきなり目の前に現れた。フリック・コレクション。かつての鉄鋼王の大邸宅がそのまま美術館になったものだった。内部に入るとマンハッタンの喧噪とはうってかわった静けさで、中庭の噴水が優雅に流れる別世界。絵画もさりげなく飾ってあって、ガラスで覆われていることもない。その美術館にフェルメールの絵が3点もあった。フェルメールとの最初の出会いだった。そこから私のフェルメール巡礼の旅が始まった。旅は長い時間を経て、生物学の研究とはかけはなれた著作(『フェルメール 光の王国』)や、最新のデジタル技術でリ・クリエイト(再創造)したフェルメールの全作品を展示する美術館(フェルメール・センター銀座)などを生み出した。
ポスドク時代から20年以上の歳月が経過した。一人前の研究者になって、自分の研究室を持ち、大学で教えるようになっても、朝にコーヒーの香りをかぐと、不意にふと昔の記憶がよみがえることがある。古い建物。実験室。らせん階段。ニューヨークの街路樹や風。ボストンの空や水辺。フェルメール。コーヒーの香りとともに思い出されるのは、当時は辛かった日々が、実は、人生最良の日々だったという想いである。
1959年生まれ。青山学院大学教授。京都大学卒。ベストセラー『生物と無生物のあいだ』ほか、「生命とは何か」を分かりやすく解説した著書多数。他に『動的平衡』、『フェルメール 光の王国』、『生命と記憶のパラドクス』など。