COFFEE BREAK

文化

文化-Culture-

2012.02.27

エッセイ*石川直樹【エチオピアのワイルドコーヒー】

 東アフリカのエチオピアを訪ねた際、茅葺きの円形住居の中でコーヒー・セレモニーに招待されたことがある。コーヒー発祥の地であるエチオピアでは、もてなしとして1時間近くかけて客人にコーヒーをいれる習慣がある。日本のティー・セレモニーとも似ているが、それほど格式ばったものではない。

 椅子に腰掛けて客が待つ間に、若い女性が水を入れた陶器の壺を炭火で温め、住居の裏で採れたコーヒーの生豆を黒くて丸い鉄板の上で煎りはじめる。このあたりからコーヒーのいい香りが鼻をくすぐり、その作業から目を離せなくなった。豆に浅い焼き色がついたところで焙煎を完了させ、今度は外に出て臼と杵を使って、豆をすりつぶしていく。臼自体は餅つき用のものほどに重量感はなく、それよりもほっそりとしている。女性が杵を振り上げると、臼から杵までのラインが一直線になって美しかった。重力に従って振り落とされた杵は、臼の側壁とこすれて乾いた音をたてる。部屋の中では陶器壺にお湯が沸騰していて、すりつぶしたコーヒーの粉を入れる。最後にシナモンやカルダモンといったスパイスを加えればできあがりだ。残り火でポップコーンなど、コーヒーのおつまみともいうべきスナックを煎るのが面白い。

 彼女は取っ手のないぐい飲みのような小さなカップをお湯ですすぐと、30センチ以上の高さから悠々とコーヒーを注いでいった。その滝のような一筋の黒い流れは本当にセクシーで、杵で豆を砕く女性の立ち姿を彷彿させる。コーヒーは床に敷いた草の上にこぼれているが、注ぎ手の女性は一向に気にする気配はない。

 いれたてのコーヒーはたしかに美味しかった。飲み終わると即座に注ぎ足され、結局、3杯のコーヒーをいただくことになった。飲み終えると、カフェインの作用なのかわからないが、明らかに頭が冴えてきた。自分が普段こうしたコーヒーを飲み慣れていないからか、不思議と元気になっていくのを感じる。

 エチオピアでこうしたコーヒー体験を重ねていくうちに、どうしても野山に生きるワイルドコーヒーを見てみたくなった。自生しているコーヒーの木は森林地帯にあると聞いて、森の中を横切る道路の途中で車を止めて探してみると、森の中ですぐにコーヒーの木は見つかった。このあたりは太陽の光も優しく、コーヒーにとってはちょうどいい気候なのだろう。当然整地などは行われておらず、近くの住民が手摘みしているという。道路からの砂埃によって多少汚れてはいたが、森の中に群生していたのは、まぎれもなくそこに根ざした自生のコーヒーチェリーだった。

 生まれてはじめて赤く熟した野生のコーヒーを見て、ようやくあの黒い嗜好品の原点を垣間見た気がした。たしかにこうして生えている実ならば、手をのばしたくなるし、伝説に謳われるように、山羊が食べてしまったとしてもおかしくはない。

 コーヒーチェリーを食べた山羊が踊り出してしまう物語は絵本にもなって、広くエチオピアで知られている。山羊が本当に食べたかは別としても、その覚醒効果の発見とともに今も世界中で愛されている嗜好品が誕生したのは間違いないだろう。

 山羊になったつもりでコーヒーチェリーを一粒摘んで口に入れてみた。わずかに果肉があって、甘い。実そのものは、まず外皮があって、果肉があって、種子がある。ぼくたちがコーヒーとして飲用するのは、その種子の部分を乾燥させたものである。黒いコーヒー豆になる前のコーヒーチェリーが、どうしてコーヒー〝チェリー〟と呼ばれるのか、その所以がわかった気がした。

 こうしたエチオピアのコーヒーは、日本では通称モカとして知られている。普通のコーヒーチェリーとは異なり、細長い形をしていて、香りと味は割と強めだ。首都アジスアベバのコーヒーショップなどで出されるのは、ほとんどがこのモカコーヒーである。

 帰国する直前、アジスアベバのトモカコーヒーという店に入った。有名なコーヒーショップで、地元の人々も足繁く通っている。ぼくはここでエチオピア滞在中最後のコーヒーを味わった。注文したのは、未だ試したことがなかったシャイブンナスプリースというメニューである。エチオピアの言葉で、シャイが紅茶、ブンナがコーヒー、スプリースが混ぜるという意味があり、シャイブンナスプリースとは、コーヒーと紅茶を1対1の割合で混ぜた飲み物のことだ。相容れない文化だと思っていた紅茶とコーヒーのカップリングだが、思いのほか美味しい。

 トモカコーヒーの店内にかけてある「コーヒーがなければ議論も思想も生まれない」というボードの英語を目で追いながら、ぼくは最後の一滴を喉の奥に流し込み、席を立った。このエチオピア旅行以来、ぼくはモカコーヒーの愛好者になっている。

PROFILE
石川直樹(写真家)
1977年生まれ。写真家。2008年、講談社出版文化賞、日本写真協会新人賞受賞。著書に『いま生きているという冒険』『この地球を受け継ぐ者へ』、開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』など多数。
石川直樹

文・石川直樹 / イラスト・唐仁原多里
更新日:2012/02/27

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