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COFFEE TIMES

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文化-Culture-

2021.09.14

元コーヒー農園のオーナー夫人が分かち合う、大邸宅の魅力と歴史。

コーヒーやカフェに関する本は海外でもたくさん出版されていますが、日本語に翻訳されるものはわずか。本連載では、味わい深い洋書を著者インタビューとともに紹介します。第7回はブラジル発。19世紀のコーヒー農園の魅力と歴史を紹介した写真集です。

 ブラジルが帝政だった時代()に、帝都リオデジャネイロに空前の繁栄をもたらしたのがコーヒー産業だった。欧米でのコーヒー需要の高まりに乗じて、リオデジャネイロ州内陸では1830年頃から約半世紀にわたって投機的なコーヒー栽培が盛んに行われた。

 肥沃だった土地もやがて疲弊し、19世紀後半中頃には生産の中心がサンパウロ州へと移るが、「コーヒーの谷」と呼ばれるリオデジャネイロ州内陸の山間部には、かつての繁栄の歴史を今に伝える農園や建築が散在している。

『サン・ルイス・ダ・ボア・ソルテ農園とコーヒーの時代』はヴァソウラス市郊外にあるその農園の古今の魅力を紹介した写真集だ。

「農園の魅力と歴史を書籍として記録することは、夫の願いでした」と執筆の経緯を語る著者のリリアナ・ロドリゲスさんは、農園のオーナー夫人であり、長年、国内大手メディアのジャーナリストとして活躍してきた。

 1980年代にリオ州観光局長を務めた夫のネストール・ロシャさんは、1994年に設立したコーヒーの谷の歴史遺産の保存と観光の振興を図る団体「プレゼルヴァレ」の会長をこれまで10年務めてきた名士だ。

 オーナー夫妻がオークションでこの農園を落札したのは2001年のこと。
「当時の農園は、長年放置され、盗難被害にも遭った末に、すっかり荒れ果てた状態でした」と購入時の農園の様子をロドリゲスさんが語ってくれた。オンラインで閲覧できる修繕前の邸宅は、確かに外壁にカビが生え、木材の窓枠は塗装が剥げ落ちた様相だ。

 その後、夫妻は州と電力会社の協力を得て、5年間に及ぶ専門家による修繕を施し、農園が輝きを取り戻した直後の2011年に本書を制作した。

 撮影に臨んだのはサンパウロ市在住の著名な写真家クリスチアーノ・マスカロ。より美しい光の下での撮影を求めて三度農園を訪れ、大邸宅の外観から調度品の細部までを撮り下ろした。

注:ブラジルが独立した1822年から1889年まで続いた立憲君主制によるブラジル帝国時代。

農園の門戸を開き、新しい世代と分かち合う。

 農園の名称の長さには理由があった。そもそもは父から土地を相続した兄弟がそれぞれ営むサン・ルイスとボア・ソルテという名の、2つの隣接する農園だったのだ。前者は1835年頃に、後者はその数年後に創業した。2つの農園を統合したのは1891年に双方の農園を購入した後の農園主だった。

 これらの土地は、そもそも宗主国ポルトガルによる未耕地の無償配分制度に基づいて分譲されたものだ。譲渡の条件として高い生産性が求められ、それを可能としたのが奴隷制度だった。

 農園を修繕したのは、ブラジル史上で際立ったコーヒーの時代を体感する機会を次世代に残すためだ、と夫のロシャさんはあとがきに綴っている。

 多数の古城を地域の振興に活かすフランスのロワール渓谷を例に挙げ、現存するかつてのコーヒー農園の数々を観光資源にしようと呼び掛けた。

 そのために行うべきことは、農園の門戸を開き、内に閉ざされた記憶を新しい世代と分かち合うことだと説く。

 保存することは教育であり、かつ国民・市民としてのアイデンティティを守ることだとし、観光にこそ未来があると締めくくっている。

 本書発表から今年で9年。コーヒーの谷の観光地化は確かに進んでいる。

A Fazenda São Luiz da Boa Sorte e o Ciclo do Café
『サン·ルイス·ダ·ボア·ソルテ農園とコーヒーの時代』

リオデジャネイロ州ヴァソウラス市郊外に位置する、修繕された19世紀のコーヒー農園の写真集。テキストでは、農園の歴史や修繕の経緯に加えて、ブラジルやリオデジャネイロ州におけるコーヒー生産の歴史について解説している。コーヒーの谷の豊富な歴史遺産の保護を促し、地域の観光振興を願って制作された。帝政時代にブラジル経済を支えたコーヒー農園主たちの暮らしぶりが想像できる一冊。
出版社:SENACリオ / 価格:110レアル
言語:ポルトガル語/ カラー
30.8cm(タテ) × 23.8cm(ヨコ) 196ページ

著者
Liliana Rodriguez リリアナ・ロドリゲス
リオデジャネイロ市生まれ。1980年代からTVグローボなど大手メディアでジャーナリストとして活動。2008年に処女作『女性有力者たち』を上梓。現在、児童書と農園の料理についての書籍を構想中。サン・ルイス・ダ・ボア・ソルテ農園オーナー夫人。

ボア・ソルテ農園初代オーナーが所有していた19世紀ドナ・マリア様式のベッド。壊れたまま農園に残されていたものを現在のオーナーが職人に修繕してもらった。手前は18世紀のゆりかご。

正門から邸宅へと続く皇帝ヤシの並木道。広い前庭の右側に受付とレストラン、ショップを構え、左側にはかつてのコーヒー乾燥場を残し、その脇には納屋を改装したコーヒー博物館を敷設した。

皇帝ヤシは皇室庇護の証です
帝政時代にブラジル皇室は、リオデジャネイロの植物園で栽培した皇帝ヤシの種を栄誉の印として、親しい貴族や権力者に分け与えました。この並木は、かつてのこの農園のオーナーが皇室に認められていたことの証です。

サン・ルイス農園2代目オーナーが約180年前に園内に建てた礼拝堂。フランス王で聖人となった聖ルイを崇めている。貸し切りで結婚式とパーティーが行われることもある。

まず先に礼拝堂を修繕しました
この農園を購入した際、礼拝堂は屋根に草が生え、家畜が勝手に出入りする、まるで朽ちた牛舎のようでした。コロナ禍までは、毎月25日に神父様をお招きして近隣住民のためにミサを行っていました。

右ページ:石造りの流し台もまた、農園に放置されていたものを修繕。流し台は食堂の片隅に配置し、周りをポルトガル風タイル「アズレージョ」で飾った。アズレージョは、植民地時代からブラジルの建築で多用されてきた。

左ページ:帝政時代のコーヒー生産は奴隷労働が担っていた。ここで紹介されているマノエル・コンゴは、他の農園の所属だったが、地域の複数のコーヒー農園を巻き込むコーヒーの谷最大の反乱を率いたリーダーだった。

かつて奴隷が支えたコーヒー農園の労働
かつてこの農園にも多くの奴隷がいました。最盛期にはコーヒー生産地だったこの地域に更に多くの奴隷が導入され、労働もより厳しくなりました。耐え兼ねた奴隷が、反乱を起こして逃亡することがありました。

邸宅の中央、食堂の前に位置するアトリウム。私生活を守り、料理臭を散らす役目がある。壁は現在のオーナーによりブラジル皇室の象徴であるピンク色に塗られた。

文房具や書類を保管できる18世紀の移動式会計用机。アンティーク家具類はオーナーの所蔵品かオークション等で購入されたもので、専門家の時代考証を経てホテル内に展示。

ブラジル帝国のイザベル皇女と結婚したフランス人のウー伯ことガスタン・デ・オルレアンスが、1876年にボア・ソルテ農園を訪れ、宿泊したことが、本人の記した手紙に書き残されている。

ウー伯の晩餐はいかに?
ウー伯は農園での晩餐に何を召し上がったのでしょう? 当時の食材を考慮してメニューを創作しました。毎週金曜日のウェルカムディナーにお客様にお出ししていましたが、コロナ禍の現在は中断しています。

Vassouras, the charm of the Coffee Valley
ヴァソウラスとコーヒーの谷

かつてコーヒーを輸送した蒸気機関車と元鉄道駅。/2019年開設の展望台からの街の眺め。

市中央のカンポ・ベロ男爵広場。/博物館となった19世紀初頭のコーヒー中次商の邸宅。

リオデジャネイロ市から北北西に約120km、「コーヒーの谷」と俗称される渓谷に位置するヴァソウラスは、19世紀半ばに世界最大のコーヒー産地として栄えた街だ。近隣の街も含めて、もはや大規模なコーヒー生産は行われていないが、当時の栄華を携え地域に残るネオクラシック建築やかつてのコーヒー農園の歴史的価値を伝えるために2003年から音楽祭「コーヒーの谷フェスティバル」が行われている。ヴァソウラス市はまた、「ヴァソウラスとコーヒーの谷」のタイトルでユネスコ世界遺産への申請を計画中で、2019年には国立歴史芸術遺産院(IPHAN)に協力を求めた。ユネスコのお墨付きで、リオデジャネイロ市ばかりに偏る観光客を招き入れたいところだ。

写真集の世界を体験できる、元コーヒー富豪の農園ホテル。

帝政時代のブラジル経済を支えたコーヒーの谷。2017年にホテルとして創業したサン・ルイス・ダ・ボア・ソルテは、かつてのブラジル皇室と縁の強かった農園で、往時の繁栄を疑似体験できる歴史遺産だ。

敷地925㎡の大邸宅。農園は州の歴史遺産に指定されている。

バーカウンターを併設した邸宅脇のプール。

 ヴァソウラスの街から車で走ること約25分、国道393号線沿いの門をくぐると、ヤシ並木の正面奥に写真集の表紙を飾る大邸宅が構えていた。

 広い芝生の前庭では週末を過ごす子連れの宿泊客らが朝日を浴びて戯れていた。コロナ禍により近場のエクスクルーシブな旅先を求める富裕層が増えたようで、農園の宿泊予約はコロナ前から倍増し、取材時の5月半ばには、2カ月先まで全27室がほぼ満室だった。

 朝10時から1時間ほどの農園案内に伴い立ち入った邸宅は、写真集制作時より調度品が増えており、更に華美になっていた。壁に掲げられたタペストリーや聖人ルイ9世の木像、あるいはテーブル周りなどすべてが、専門家による時代考証を経た18、19世紀の品だ。

 多くは、廃墟同然に放置されていた農園に備わっていたものではないが、紛れのない威風と時代感を携えている。

 この本館のスイート13室もまた、同様のアンティーク家具で飾られている。年代物の寝具に身体を横たえれば、うつろに見る夢もまた時代を遡りそうだ。

左から:ジュサラヤシの格子を一部露わにした小食堂の土壁。/コーヒー栽培の風景が壁に描かれた大食堂。

左から:展示用のかつての食堂。壁画は現代画家ドミニク・ジャルディによるもの。/宿泊客でなくとも100レアル(2021年6月現在で約2,140円)で楽しめる昼食ビュッフェ。

広く知ってほしい、男爵と奴隷の時代。

ヤシ並木と邸宅が農園のロゴマーク。

 ホテルの創業は2017年だが、予約制の農園案内は2011年から続けてきた。当初からガイドを務めるマルセロ・ミレールさんは、ブラジル史の中に農園を位置付けて解説してくれた。

 サン・ルイス農園初代オーナーのパウロ・ゴメス・ヒベイロ・デ・アヴェラールは、少年時代に第二代ブラジル皇帝のドン・ペドロ2世とともに学んだ間柄だった。その経緯もあってコーヒー生産による経済的貢献で、皇帝から直々に男爵の位を授与された。

「邸宅の地下の他に農園には奴隷小屋が2つあり、最盛期には383人の奴隷がいました」と今では想像し難い奴隷制労働についても語ってくれた。

〝大邸宅と奴隷小屋〟とは、社会学者ジルベルト・フレイレの名著の題名だが、かつての農園での支配形態は、現代ブラジルにもその影響を色濃く残す。

 農園の歴史を広く知ってもらおうと、2013年から、州政府とスポンサーの協力を得てリオデジャネイロ州の公立学校の社会科見学を無償かつ、バスと食事を提供して受け入れてきた。

「富裕でない子供にもこの歴史遺産に触れる権利があると思います」と企画発案者のオーナー夫人ロドリゲスさん。これまでに州内13の市町村から約1万4千人の学生を受け入れてきた。

左から:納屋を改装したコーヒー博物館。/結婚式の際には使われる展示用寝室。

取材・文・写真 仁尾帯刀
更新日:2021/09/14