COFFEE BREAK

インタビュー

インタビュー-Interview-

2017.04.20

ダニエル・カール【タレント/山形弁研究家】

ダニエル・カール【タレント/山形弁研究家】

仕事と私とコーヒーと。 Vol.9
ダニエル・カール【タレント/山形弁研究家】

山形弁を流暢に操るアメリカ人としておなじみのダニエルさん。日本とのご縁を深めるきっかけにコーヒーも一役買ってくれていたようです。

「僕に最初にコーヒーのことを教えてくれたのは父親でした。子供の頃、家で父がよくパーコレーターを使ってコーヒーをいれていたのです。僕は横でじっと見ているだけなのですが、いい香りがするのが大好きだった......」
 アメリカ、カリフォルニア州で生まれ育ったダニエル・カールさん。コーヒーは〝大人の飲み物〟として、子供の間は口にすることはなかったが、香りには早くから惹かれていた。
「パーコレーターは蓋の部分だけガラス製で、お湯が沸くとその内側にポコポコと吹き上がってくるんです。その色が少しずつコーヒーブラウンに染まってくると、周りがとってもいい香りに包まれる。あれが僕にとってコーヒーの元祖です。父に教わって僕がいれるときもありました。〝お前が作ってくれるのか〟と喜ぶ父の顔。僕は僕で、自分では飲まないけれど親の役に立っているんだという嬉しさがありましたね」

人生を決定づけた、山形での出会い。

Illustration by takayuki ryujin

 1977年、奈良県の高校の交換留学生として来日し、一年間を過ごしたダニエルさん。柔道を通して日本の文化に興味をもち、大学時代には京都二尊院にホームステイしたり、佐渡島の文弥人形遣いに弟子入りするなど、身を以って伝統文化を体験。日本という国の魅力にどんどんはまっていった。一度はアメリカに戻ったものの、大学卒業後に再び日本の土を踏み、文部省英語指導主事助手として3年間を山形県で過ごすことに。
「この3年の間に今の妻と出会って結婚をしたのですが、私にコーヒーのおいしさを教えてくれたのが誰あろう、妻なのです。じつは、高校留学で親元を離れて以降、僕とコーヒーとのつながりも途切れてしまい、そのままほとんど飲むこともなくなっていました。山形に来て英語を教えながら、同じく英語教師をしている妻と出会いました。彼女はジャズとコーヒーが大好きな人で、とあるジャズ喫茶に通い詰め。当時の山形には、マニアの間ではかなり有名なジャズ喫茶が数軒あったのです。
 ある日、ついに僕は妻に誘われてその店に行きました。棚にレコードがびっしりと並んでいて、マスターがそれをかけてくれる。みんなコーヒーを飲みながら2時間、3時間と音楽を聴いている。ロックンロールしか聞いたことがなかった僕にはもう別世界でした。
そしてコーヒーも。ジャズを聴きながらじっくりと楽しむコーヒーは、ちょっと濃いめでこってりした味わい。最初はとにかく妻に嫌われたくなくて飲み始めたわけですが、やがて僕自身もすっかりブラックコーヒーの味にとりつかれてしまったというわけです」
 妻とコーヒーとの出会いがダニエルさんと山形との結びつきをさらに強め、現在に至っているといっても、いい過ぎではないだろう。香りは父から、味は妻から教わったコーヒーの魅力。
「今はコーヒーがないと1日が始まらない。家にいるときはお昼までに3杯くらい飲んで、午後からは飲まないのが習慣になっています。ちょっと濃い味の、香り高いタイプが好きですね。父は86歳で、今も元気。何代目かのパーコレーターがアメリカの父の家にあるんですよ。キャンプなどアウトドアで手軽にコーヒーを楽しめますからね」

文・牧野容子 / 写真・大河内禎
更新日:2017/04/20
PROFILE
ダニエル・カール(だにえる・かーる) 1960年、アメリカ合衆国カリフォルニア州生まれ。高校時代に奈良県の智辯学園に交換留学生として滞在。その後、関西外国語大学に4か月、さらに京都や佐渡島で過ごしながら積極的に日本文化に触れた。アメリカの大学を経て日本に戻り、82年から山形県で英語教育に従事。その後、上京し、セールスマンを経て翻訳会社を設立。87年頃からテレビ、ラジオ等の仕事を兼務し、現在に至る。 協力/GrandePonte (TEL.03-6453-1874)
ダニエル・カール【タレント/山形弁研究家】
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