COFFEE BREAK

インタビュー

インタビュー-Interview-

2014.09.30

兼高かおる【ジャーナリスト】

兼高かおる【ジャーナリスト】

仕事と私とコーヒーと。 Vol.1
兼高かおる【ジャーナリスト】

 往年の人気番組『兼高かおる世界の旅』で活躍したジャーナリストが切り取る世界のコーヒー・シーンと、ご自身のコーヒーとの関わりをお届けします。

 1959年から99年まで続いた伝説の人気番組『兼高かおる世界の旅』は、日本の旅番組の先駆け的存在だった。この番組で、歯切れのよいレポートをお茶の間に発信し続けたのがジャーナリストの兼高かおるさん。彼女はナレーターだけでなく、ディレクター兼プロデューサーとして番組の製作まで手がけた、まさに働く女性のパイオニア。1年の半分を海外取材に費やし、訪れた国は約150カ国。これは、地球を180周したことになるという。

 そんな兼高さんがコーヒーを飲むようになったのは、アメリカ留学時代だ。
「わたくしにとって、小さい頃からお茶といえば、それは紅茶。母がいれる紅茶が大好きだったのです。だから、アメリカでコーヒーを飲んだときも、正直、あまり美味しいとは思いませんでした(笑)。でも、気がつくとハンバーガーにはやっぱりコーヒー。ハンバーガーにティーとはいかないのです。肉料理にはコーヒーのしっかりした味が合うのだなと納得しました」

取材先で出会った人々と、コーヒーのひとコマ。

Illustration by takayuki ryujin

 それぞれの国に、その国ならではのコーヒーと人との関わりがあった。
「イタリアで出会ったガイドさんは、予定の時間に1時間以上も遅れてやってきました。〝じゃあ、出かけよう〟といって、まず行くところはカフェなのです。彼は店の外のテーブルにどっかり腰を落ち着けて、エスプレッソを飲みながらゆっくり新聞を読む。限られた時間の中で少しでも多くのものを取材したいと思っているわたくしは、ちょっとびっくりしてイライラしそうになりました。それでも、郷に入れば郷に従え。彼のペースに合わせることにしました」

 同じカフェでも、南米のブラジルではまったく別のシーンがあった。
「サンパウロの町にカウンター形式のカフェスタンドがありました。次々と人が入ってきては、デミタスカップのような小さめのカップに入れたコーヒーを、立ち飲みできゅっと1杯飲んで、すぐに出て行くのです。カウンター越しにお店の人と話す場合でも、二言三言。颯爽としていて、とてもかっこいい飲み方だなあと感心したものです。同じく南米のコロンビアの人たちはとても夜更かしで、深夜12時を過ぎてもコーヒー片手におしゃべりをしているのです。お話が楽しいので、わたくし、ついおかわりを頼んでしまいました。そのおかげで一睡もできなくて(笑)。けれどもその夜に飲んだコーヒーは、これまでの人生で最も美味しいコーヒーだったのです」

 日本でも、コーヒーにまつわるこんなエピソードが。
「山形県の最上川の観光船で川べりに建つ仙人堂の前を通ると、船頭が、〝ここで芭蕉がコーヒーを飲んだ〟と言うのです。仙人堂は源義経が立ち寄ったとされるお堂で、芭蕉の『奥の細道』にも登場する場所。芭蕉が奥の細道を辿ったのは17世紀末のことで、長崎の出島にコーヒーが持ち込まれたのもその頃。とすれば、そういうこともあったかもしれないと推察できる。旅をすれば、歴史の新説に出会うこともあります。まだ知らないことがたくさん。だからこそおもしろい。私の人生の旅も、まだまだ続いていきそうです」

文・牧野容子 / 写真・大河内禎
更新日:2014/09/30
PROFILE
兼高かおる(かねたか・かおる) 日本の高校を卒業後、米ロサンゼルス市立大学に留学。帰国後は、ジャーナリストとしてジャパンタイムスなどで活躍。1986年~2005年まで「横浜人形の家」館長を務める。1991年紫綬褒章受章。現在は日本旅行作家協会名誉会長、淡路ワールドパークONOKORO「兼高かおる旅の資料館」の名誉館長ほか。著書に『私の好きな世界の街』(新潮社)、『わたくしが旅から学んだこと』(小学館文庫)など多数。『兼高かおる世界の旅』は現在、TBSオンデマンドなどで見ることができる。 撮影協力/ 国際文化会館レストランSAKURA(TEL:03-3470-4611)
兼高かおる【ジャーナリスト】
PAGE TOP