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健康

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2012.10.26

コーヒーの中の成分ががん細胞を抑制する?

日本人がもっとも恐ろしいと思う病気。それはきっとがんだろう。何気なく飲んでいるコーヒーには、がん細胞の活動を抑える働きがあるという。

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 日本人の死因のトップが「がん(悪性新生物)」であることは皆さんご存じだろう。1981(昭和56)年以降、それまでの脳血管疾患に代わってがんが死因の第1位となった。

 それからおよそ30年。いまだにがんはトップでありつづけている。2011年の死因別死亡数は、第1位ががんで死者は35万7135人にのぼる。第2位が心疾患で19万4761人、第3位が肺炎で12万4652人、第4位が脳血管疾患で12万3784人となっている。つまり、日本人の3.5人に1人ががんで亡くなっている計算だ。(図1)

 早期発見ができればかなりの確率で治るようになったと言われているが、がんによる死者数はまだ右肩上がりである。

がん細胞は「浸潤」と「転移」で全身に広がる。

 がんは、なんらかの原因で遺伝子に傷がつき、それが原因となって細胞が異常に増殖するようになった状態だ。正常な細胞も細胞分裂を繰り返すが、あるレベルに達すると新たに分裂はしなくなる。ところが、がん細胞だけは無限に増殖し、また体の中に広がっていくのだ。

 がん細胞はまず発生した場所の周辺組織を壊し、さらに増えていって他の臓器にもぐりこむ。それだけでなく、血管やリンパ管という体中をめぐっている管に入りこみ、遠く離れた臓器にも広がる。その破壊行為は宿主(患者本人)が死ぬまでやむことはない。

 周辺の組織や臓器に広がることを「浸潤」と呼び、離れた別の臓器に移ることを「転移」という。がん細胞がしみ出るように広がって(浸潤)、さらに体のあちこちの臓器に飛び火(転移)し、いたるところに新しいがんの巣をつくっていくのだ。(図2)

 では、どの部位にできるがんの死亡率が高いのか? 男性と女性では少し差異があるので、まずは男性から見ていこう。

 男性は、およそ20年前から「肺がん」がトップだ。第2位が「胃がん」で第3位が「大腸がん」、第4位が「肝臓がん」となっている。

 女性は、2003年から「大腸がん」が第1位となった。次いで「肺がん」が第2位、第3位が「胃がん」、第4位が「乳がん」、第5位「肝臓がん」、第6位「子宮がん」となっている。

 がんは老化とともに必然的に発生する病気とされている。ところが、食生活やライフスタイルを改善することによって、たとえ発がんリスクの高い遺伝素因や基礎疾患をもっていたとしても、がんは予防できるともいわれている。それは近年の医療の発達によって明らかになってきたことだ。

一次予防が無理なら、食品で二次予防を。

 がんはメタボリックシンドロームと同じように生活習慣病の一つに位置づけられる。特に食生活はがんの発症や進行に影響があるとされている。

 東京農工大学大学院 農学研究院 応用生命化学部門の矢ヶ崎一三教授は、「食べ物で病気を予防あるいは軽減化するメカニズムを、分子、細胞、個体のレベルで解き明かす研究」をつづけている。がん細胞に対して食品がもつ成分がどう作用するのか、そのメカニズムについて肝臓がんを例として研究しているのだ。

 肝臓は「沈黙の臓器」と呼ばれている。自覚症状が出にくく、がんなどの病気になっても気づきにくい。

「がんは、初期の段階で防ぐ一次予防ができれば理想的です。しかし実際はなかなかうまくいきません。正常細胞ががん化しても初期は小さいから見つけにくい。発見可能な大きさになって初めて『あなたはがんです』と診断される。外科手術や薬の投与は、そうして診断された後でないとできないのです。これではどうしても後手に回ってしまいます」(矢ヶ崎氏)

 そこで矢ヶ崎氏は、食べ物の中に含まれているたんぱく質や脂質、糖質、ビタミン、ミネラルなどの「栄養素」と、ポリフェノールや香りの成分、辛み成分などの「非栄養素」の両方に着目し、どの成分がどういった働きをするのかを調べている。

「薬は病気になってはじめて飲むものです。しかし、食べ物は健やかなときも病めるときも、だれもが等しく摂っているもの。ですから、食べ物のなかに病気の進行を食い止める成分があるとすれば、人間にとって好都合です。たとえばがん細胞が小さかったり、まだ数が少ないうちにそれを食い止める働きをする成分があるならば、日ごろからそれを意識して摂取しておけばいいのですから」

 つまり「一次予防」が無理でも、がんが広がってひどい状態になる前に抑制する「二次予防」ならできるかもしれないと考えているのだ。しかし、がんになる前に薬を飲むわけにはいかない。その点、食べ物は日常的に摂るものなので、食べ物がもつ成分を調べて二次予防に役立てたらどうか――。

 そう考えた矢ヶ崎氏は、紅茶、緑茶、ウーロン茶や大豆をはじめとする豆類が含む成分とそれが体に与える影響について調べていた。

ラットを使った実験では、コーヒーががんを抑制。

 矢ヶ崎氏が研究対象としてのコーヒーにめぐり合ったのは、1990年代の半ば。お茶と同じように、世界中で人々に親しまれているコーヒーに自然と行きついた。

 しかし、コーヒーのことをよく知らなかったので、最初のうちはどうやって研究したらいいかわからなかった。コーヒーの成分に関する分厚い科学書を買ってきて、一から勉強したという。

 実験方法も手探りだった。「ふつうにコーヒー豆を買ってきて抽出したものを細胞にかけたりしていましたね」と矢ヶ崎氏は笑う。
 しかしそれでは実験の際に条件が一定しないので、品質の安定したインスタントコーヒーを用いるようになる。

「いろいろ勉強しているうちに、コーヒーには多様な成分があることがわかってきて、おもしろくなりました」

 細胞ががん化する過程と、悪性化していく過程におけるコーヒーの作用について本格的に調べはじめる矢ヶ崎氏。動物実験を開始するにあたり、コーヒー試料は上記のように市販のインスタントコーヒー粉末を用いた。それによって、抽出効率や成分の違いを気にすることなく、再現性の高い実験が行えた。

 また、肝臓がん(肝がん)の細胞は国産の呑龍系(Donryu strain)ラット(注1)に由来するがん細胞「AH109A」を使用。細胞培養系でもよく増殖するうえ、呑龍系ラットの腹腔内や皮下に戻すと盛んに増える性質がある。

 まず、インスタントコーヒー粉末をAH109Aに直接添加した。平たく言うと「ふりかけた」のだ。すると、AH109Aの浸潤も増殖も両方抑える効果があることがわかった。(図3)

 この結果を受けて、矢ヶ崎氏はもう1つ実験を行った。それはより生体に近いやり方である。
「細胞にコーヒーをふりかけたら、たしかに浸潤も増殖も抑えました。しかし、実際には動物の体の中で細胞にコーヒーが直接ふれることはありません。ですから有効成分が体の中に入って、活性を保った状態で移行するのかどうかを調べたのです」

 この種の細胞培養実験では牛の血清を使うのだが、その代わりに「コーヒーを飲ませたラットの血清」を培地に入れて増殖を抑えるかどうかを見た。

 まず、ひと晩絶食させた呑龍系ラットにインスタントコーヒーの粉末を溶かした水溶液を飲ませて、2時間後に採血して血清を取り出す。その血清をラットの細胞に添加した。

 実は、消化管を通ると腸や肝臓で代謝を受けて壊されてしまったり、有効な構造が隠されたりして効かなくなるケースもあるのだが、先の実験と同じように浸潤も増殖も抑えたのだ。(図4)

「ラットへの投与量125㎎/㎏を人間に適用できると仮定して、体重60㎏の人間で7.5g。コーヒーでおよそ2〜3杯分ですから、日常的に飲める量でしょう」

 ラットを使って、コーヒーという食品ががんに効くことを確かめた。そこにはなにかしらの有効成分があるはずだが、この段階ではまだわからない。
 矢ヶ崎氏は「では、コーヒーのどの成分が有効なのか」と考え、次の実験に進んだ。

悪さをする活性酸素を、コーヒーが食べてしまう?

 コーヒーに含まれる主な成分としては、カフェイン(10〜20g/L)、キナ酸(3.2〜8.7g/L)、トリゴネリン(3〜10g/L)、クロロゲン酸(0.02〜0.1g/L)、カフェ酸、クエン酸(1.8〜8.7g/L)、リンゴ酸(1.9〜3.9g/L)などがある。このなかで矢ヶ崎氏が最初に着目したのはクロロゲン酸だ。次いでカフェ酸とキナ酸。なぜならカフェ酸とキナ酸が結合したポリフェノール化合物がクロロゲン酸だからだ。

 実験の結果、クロロゲン酸、カフェ酸、キナ酸は、肝がん細胞の増殖は抑制しないけれど浸潤は抑制することがわかった。ただし、クロロゲン酸を直接添加すると抑制効果は高いが、クロロゲン酸の構成要素であるカフェ酸、キナ酸を添加してもクロロゲン酸ほどの効果はなかった。

 次に、浸潤を抑制するメカニズムを調べてみた。(1)「なにもしない」、(2)「活性酸素を入れたとき」、(3)「活性酸素とコーヒーを一緒に入れたとき」という3通りの方法で、細胞の中の活性酸素の量を測定したのだ。

「活性酸素には浸潤能(注2)を上げる性質があります。そこで培地に活性酸素を投入して、浸潤する細胞数を調べました。すると活性酸素で上がった浸潤能が、インスタントコーヒーを添加するとグッと下がったのです」

 簡単にいうと、活性酸素とコーヒーを一緒に添加するともとの状態に戻るということは、つまりコーヒーのある種の成分が活性酸素を「食って」しまっていると考えるのが自然だ。

 この結果からコーヒーには抗酸化能(注3)があって、活性酸素を捕捉するから浸潤を抑制するのではないかと考えられる。

 培地にインスタントコーヒーを直接添加した場合と、インスタントコーヒーの粉末を溶かした水溶液を飲ませて取り出した血清を細胞に添加した場合と2通りの実験を行ったが、どちらも結果は同じだった。

 また、トリゴネリンにも浸潤を抑える効果があることがわかっている。ただし、トリゴネリンの場合は、抗酸化能以外のメカニズムが働いているようだ。また、浸潤を抑える成分は確定できたものの、増殖の抑制成分はまだわかっていない。

食べ物の秘めた力で、健康な体を維持する。

 これらの研究結果は細胞レベルとラットを使った動物実験に基づいたもの。したがってすぐに人間へ転用できる...とはならないが、日々摂りこんでいる食品の中からがんやそのほかの病気を二次予防する物質を見つけようという研究には、大きな意味がある。

 キーワードとなるのは「未病」の考え方だ。
 未病とは、(1)自覚症状はないが検査結果に異常がある場合(コレステロールが高いなど)、(2)自覚症状はあるが検査結果に異常がない場合(冷え性など)を指す。「病気ではないが、健康でもない状態」と考えればわかりやすい。

「生命を維持するために、人間は常に必要な物質を摂りつづけなくてはなりません。ですから食べ物そのものに秘められた力で、人間が『未病』でとどまり病気にならないこと。気づかないうちに健康体を維持できるのであれば、これに勝ることはないでしょう」

 矢ヶ崎氏は病気を予防・軽減化する食品成分(栄養素と非栄養素)を見つけだし、作用の仕組みを解明するために、栄養素と非栄養素の薬理科学的側面である「食理学(BROMACOLOGY)」を追求している。がんのほか、糖尿病や腎炎を現在研究中だ。

「コーヒーにほんとうの発がん予防効果があるかどうかは、今後の疫学研究によって明らかになるでしょう。すでに毎日5杯以上コーヒーを飲むと肝臓がんの発症リスクが低減するという疫学研究のデータも出ています。これまで数百年にわたって生き残ってきたコーヒーには、なんらかの有用性があるはずですからね」

 高齢社会に突入して久しい日本で、コーヒーが疾病の予防に寄与する存在となるか。今後の研究に期待したい。

(注1)呑龍系ラット:群馬県で捕獲されたねずみからつくられた日本産の実験用ラット
(注2)浸潤能:浸潤する能力を指す
(注3)抗酸化能:酸化に抵抗する能力のこと

矢ヶ崎一三氏
(やがさき・かずみ)

東京農工大学大学院 農学研究院 応用生命化学部門 教授。農学博士。1971年東京大学薬学部製薬化学科卒業。1976年同大学院農学系研究科博士課程修了。文部省在外研究員、東京農工大学農学部教授などを経て2010年4月より現職。
文・前川太一郎 / イラスト・ヨコイエミ
更新日:2012/10/26
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