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コーヒー・ワンダーランド

コーヒーと世界遺産 Vol.10

イスタンブールで生まれ、育まれたコーヒー文化。
イスタンブール歴史地域

ドイツ人の画家・建築家メリング(Antoine Ignace Melling/1763-1831)が1819年に描いたカフヴェ・ハーネの様子。真ん中に小さな噴水がある。客があぐらをかき、長いキセルでタバコを吸っている。このカフェはボスポラス海峡沿いのトプハーネという場所の丘にあり、窓越しにトプカプ宮殿が見える。

 トルコ共和国最大の都市であり、ヨーロッパとアジアの両大陸にまたがるイスタンブール。その旧市街はボスポラス海峡に臨む半島に位置し、北は黒海、南はエーゲ海へと通じる海上交通の要衝であったため、古くから都がおかれ、繁栄を続けてきた。4世紀~15世紀まではキリスト教国の東ローマ帝国の都であり、15世紀からはイスラム国家であるオスマン帝国の都。それぞれの時代の威光を今に伝える多くの歴史的建造物に彩られた旧市街は「イスタンブール歴史地域」として世界遺産に登録されている。
「トルコのカフェ文化が始まったのも旧市街からだったのです」
 と話すヤマンラール水野美奈子先生。

細かく挽いた豆の粉、砂糖、水を「ジェズベ」と呼ばれる小鍋に入れて沸騰させ、上澄みをいただくトルコ・コーヒー。カップの底に残った粉の形で占いをする。

「コーヒーがオスマン帝国に伝わったのは1553年といわれています。シリアのアレッポ出身のハケムとダマスカス出身のシェムスという2人のアラブ商人がイスタンブールにコーヒーをもたらしました。また同じ年に、オスマン帝国のイエメン総督オズデミル・パシャがイスタンブールにコーヒーを伝えたという記述もあります。その翌年、旧市街の商業地区として栄えていたタフタカレ(現在のエミノニュ地区)の一角にコーヒー店の第1号が開店します。最初は豆を売るだけであったのが、ほどなくコーヒーを飲ませるカフヴェ・ハーネ(コーヒーハウス)としてもオープンしました。これが好評で、次々と店ができ、16世紀末には600軒を超えるカフヴェ・ハーネが旧市街にあったといわれています」

 当時のカフヴェ・ハーネ(以下、カフェ)は商店街の小さな店から、風光明媚な場所に建つ大規模なものまで、じつにさまざまだった。
「立派な店になると、広い空間の真ん中に噴水があり、窓辺にはちょっと高い位置にあぐらがかけるような椅子が並んでいました。コーヒーを飲みながら談笑したり、長いキセルでタバコを吸ったりと、店は男性たちの社交場になっていました。詩人が詩を読んだり、漫談師や影絵師が芸を披露したり、音楽家による演奏が行われることもありました。また、オスマン社会はギルド制度(同職、同業の組合)が徹底してできていたので、カフェもかなり細分化されていたのです。街なかには、商人たちが休んだり商談をしたりする専用のカフェや軍人のカフェ、ある職人だけが集まるカフェ、神秘主義者のためのカフェなどもありました」

 ただし、これらのカフェはすべて男性専用だ。イスラム社会では男女の世界が分かれているため、オスマン帝国の女性は町のカフェには行かず、ハレム(女性の居住部)やハマム(公衆浴場)の女性専用部で、女性の親族・隣人・友人たちとコーヒーを楽しんだ。
「そこではコーヒー占いが盛んに行われたり、コーヒーをいれ、給仕する作法ができて、その習得が結婚の条件になるなど、女性社会の中でも独自のコーヒー文化が築かれていったのです」

伝統的な“語る文化”を、深めたコーヒーの存在。

トプカプ宮殿、アヤソフィアなど多くの世界遺産を擁するイスタンブール歴史地域。初めてのコーヒー店ができたタフタカレはガラタ橋の南側、スレイマニエ・モスク下方のエリアにあたる。

 トルコではコーヒー文化そのものも、「トルココーヒーの文化と伝統」として世界無形文化遺産に登録されている。トルコにおけるコーヒーはただの嗜好品という以上に人々の生活に欠かせない存在だ。ではなぜトルコでこれほどまでにコーヒーが定着したのだろうか。
「それは、コーヒーを飲むことがトルコの伝統文化と密接に関わっていたからだと思います。トルコには、コーヒーの文化より先に世界無形文化遺産に登録されていたものが11件ありました。そのうち3つはコーヒーハウスと関連があるものです。それはメッダー(漫談)、カラギョス(影絵芝居)、ソフベット(団欒・談笑)。特に注目したいのがソフベットです。これはただのお喋りではなく、例えば一つの話題をもとに社会情勢の話をしたり、とんち話をしたりして、相手の興味が尽きないように話をいろいろな方向に繋げていく談笑の仕方です。そこでは教養やユーモアのセンスなどが問われることになります。トルコの人は昔からソフベットが大好き。おそらくコーヒーを飲むことはソフベットをするのにとても馴染みが良かったのでしょう。伝来してすぐに、コーヒーはソフベットに欠かせないものになりました」

 コーヒーが伝来するまでトルコに外食産業はなかったが、カフェはわずかなお金で思う存分、談笑ができる場所として、人々にとても好意的に受け入れられた。カフェが産業として大きく成長したのにはそういう背景もあったのだ。小さなカップ1杯のコーヒーでソフベットを延々と続けるトルコの人々。日本では、カフェで隣の席にいる知らない人の話に首を突っ込むようなことは、まずないけれど、トルコでは平気でそれができるのだという。

「そうやって知らない人とでも話が繋がっていくのです。ただ美味しい飲み物だから、というのではなく、談笑しながら人間関係を作り、そこに楽しみを見出す文化だからこそ、コーヒーはトルコの人々に定着していったのではないかと思います」
 コーヒーを通して人や社会が繋がっていく。トルコのコーヒーにはそんな魅力もあったのだ。伝統文化と密接に繋がりながら育まれていったトルコのコーヒー文化。改めてその奥深さを思い知らされる。

世界遺産が建ち並ぶ旧市街の中でも、オスマン帝国最盛期の大帝スレイマン1世が建てたことで知られるスレイマニエ・モスク。場所はタフタカレに近く、建立年は1557年。街に初期のカフェができた年から3年後のことだ。スルタンの栄華を誇る高いミナレット(イスラム教の宗教施設に付随する尖塔)が印象的。


ヤマンラール水野美奈子(みずの・みなこ)
元龍谷大学教授。専門はトルコ美術史、イスラム文化史。1971年のトルコ留学以来、イスタンブール大学社会学研究科で美術史を専攻するなど10年間トルコに滞在、81年帰国。コーヒーに関する著書に『100問100答・世界の歴史2中東・アフリカ』(共著/河出書房新社)、ほかに『世界美術大全集東洋編17巻:イスラーム』(共著/小学館)、『山田寅次郎宗有:民間外交官・実業家・茶道家元』(共著/宮帯出版社)など。

監修 ヤマンラール水野美奈子 / 文 牧野容子 / 地図 藤島つとむ
更新日:2017/08/10



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