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コーヒー・ワンダーランド

エッセイ*しりあがり寿【ジブン的コーヒー史三つの時代。】

 子どものころ、ボクにとってコーヒーは憧れだった。
 今でもよく覚えてる「憧れの時代」。あれは中学校の放課後の教室だったと思う。何かの拍子で同級生が書いてるという小説を見せてもらって、それは今思うと稲垣足穂のスタイルをまねたような透明感のある不思議な話だったんだけど、その中に「アセチレンランプ」や「ラヂオ」みたいなノスタルジーとゆーかハイカラとゆーか不思議な言葉に交ざって「珈琲」という文字がでてきたのね。コーヒーと言えばコーヒー牛乳のコーヒーというイメージだったボクには漢字の「珈琲」は衝撃だった。字画が多くて「緋牡丹唐獅子」とか「黒蜥蜴」みたいにちょっと怖い、触れてはいけないオーラを放ってる。そんな大人の文字を同年代の友達が鉛筆でスラスラ書くのを見てホントにカッコイイと思った。そして大人になって自分も珈琲を飲む日に憧れた。

 そんなボクも高校を卒業してコーヒーをどんどん飲むようになるんだけど、やってきたのは「憧れの時代」でなくてコーヒー「主食の時代」だった。主食なんだよ、ホントーにコーヒーばっかり飲んでた。大学受験に落ちて浪人のために東京で一人暮らしを始めたんだけど、とにかくまぁ金がなかった。住んでたのは高田馬場の四畳半一間を間借りで九〇〇〇円の部屋。

 階下にはお爺さんとお婆さんが住んでて、二人が寝てる部屋の脇を通って二階に上がるのね。もちろんトイレも風呂も共同。で、メシは米二合炊いてそれをおかずなしでいろんなフリカケで食べてた。だからもういつでも腹が減ってて、それで昼間はコーヒーとタバコで空腹を紛らわせてたのね。ボクにとって憧れの珈琲はキリマンジャロだかなんだかをドリップでコポコポみたいなイメージだったんだけど、現実はもうバケツみたいなデカさだけが取り柄のホーローのコーヒーカップに、インスタントコーヒーをスプーン三杯くらい入れて、砂糖二杯くらい山盛り入れて粉のクリームも山盛り二杯でゴチャゴチャっとかき回して飲んでた。部屋には冷蔵庫も台所もないからね。自炊もなんだし、空腹をしのぐにはそれが一番簡単だったのね。

 暑さをしのぐにもコーヒーだった。夏になると冷房を求めて喫茶店に潜り込むんだけど、そこではアイスコーヒーだった。一杯のアイスコーヒーでいつまでもいつまでも友達としゃべりながら涼んでた。アイスコーヒーを飲み終わると、中の氷にストローで穴をあけて時間をつぶした。

 大学でお世話になったのは紙コップ入りの自販機のカフェオレだった。大学の二階の踊り場の自動販売機の脇のベンチにボクらはいつもたむろしていた。一杯五○円のカフェオレで何時間もそこにいた。しゃべってた奴が授業に出て、そのあと授業から戻ってきてもまだそこにいた。雨の日も晴れた日もそこで階段を上ってくる人々を眺め、今晩何を食べるかとか、どうでもいいことを延々としゃべってた。今の奥さんと出会ったのもそのカフェオレの踊り場だった。「主食の時代」、いやー、とにもかくにもコーヒーをよく飲んだなー。

 さてさてそのあと会社に入って缶コーヒーのパッケージの仕事とか、いろいろコーヒーとは付き合いがあったけど、しばらくはコーヒーといえば普通にお店で食後に飲むくらいだった。だけど今またボクの中でコーヒーは新しく「健康の時代」をむかえそうだ。最近の新しい情報だとコーヒーには何やらさまざまな効能があるらしい。フォアグラ一直線の肝臓にも何かいいことがあるかもしれないということで、このところまた自分でコーヒーをいれたりしている。今は便利になったからなー、あらかじめコーヒー粉がセットされたフィルターをカップの上に置くだけで美味しいコーヒーが飲める。そうか、もしかしたら子どものころ憧れたホントの「珈琲」を味わえるのはこれからかもしれない! その昔田舎の中学生が憧れた東京の珈琲、永島慎二のマンガの中で若者たちが将来を語りながら飲んでいた珈琲、大音量でジャズを聴きながら自分の中に何か目覚めないだろうかと思いにふける若者のかたわらにあった珈琲。そんなホントの「珈琲」が今なら手軽に味わえる。

 いやいや、だけどホントは「主食の時代」に友達とだべりながら飲んだ自動販売機のカフェオレこそが、ボクにとっては大切な「珈琲」だったのかもしれないなー。香りも味もいい加減だったけどあのカフェオレが与えてくれた時間は本物だった。

 いったいどの一杯がボクにとってホントの漢字の「珈琲」だったんだろう? 高校生のころ初めて入った喫茶店で飲んだ「ブレンド」、大学時代、徹夜明けのファミレスで何度も何度もおかわりした「アメリカン」、冬の仕事中、自販機で買った温かな缶コーヒー。どれがホントの「珈琲」だったんだろう? これからはそんなことを考えながら飲むのも楽しいかもしれない。

Profile

しりあがり寿(しりあがり・ことぶき)
1958年静岡市生まれ。漫画家。1981年多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒業。新聞の風刺4コママンガから長編ストーリーマンガ、アンダーグラウンドマンガなどさまざまなジャンルで独自な活動を続ける一方、近年では映像、アートなどマンガ以外の多方面に創作の幅を広げている。
しりあがり寿

文・しりあがり寿 / イラスト・唐仁原多里
更新日:2015/08/24



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