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COFFEE BREAK
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コーヒーと胃潰瘍。関連は認められない?
「コーヒーは胃潰瘍に悪い影響を及ぼす」という説がある。ほんとうにそうなのか?人間ドックとの連携でデータを解析した最新の研究成果を紹介する。
『吾輩は猫である』『坊ちゃん』などで有名な文豪、夏目漱石が命を落としたのは、胃潰瘍による出血だったことは広く知られている。このように胃・十二指腸潰瘍は、長らく我が国の国民病の1つだった。
胃潰瘍は極度の緊張、あるいは肉親が亡くなるといった深い悲しみなど強いストレスがかかり、それが自律神経を介して胃酸の分泌を高めることが大きな原因だ。胃酸が濃くなりすぎると内部のバランスが崩れて、胃の粘膜が消化されて潰瘍になるのだ。
潰瘍のない人でも、ストレスを受けると同じメカニズムで胃が痛くなることが知られている。
人類が生き延びるために、胃酸には殺菌作用がある。
胃潰瘍や十二指腸潰瘍は、進行すればがんになるわけではないので、今は良性疾患と呼ばれている。しかし、強い痛みを伴ううえ、胃に穴が開くこともあるし、夏目漱石のように潰瘍からの出血で命を落とす人も昔は少なくなかった。これは胃酸の分泌を抑える薬がなかったからだ。
死に至る疾患ではなくなったのは、薬が開発された戦後のことである。
薬によって胃潰瘍や十二指腸潰瘍を患う人が減っているのとは対照的に、近年増えている消化管の疾患がある。「逆流性食道炎」と「非びらん性胃食道逆流症」だ。(図1、2)
逆流性食道炎とは、胃酸や十二指腸液が食道に逆流し、粘膜にびらん(傷、ただれ)や炎症を起こすもの。非びらん性胃食道逆流症は、胃カメラなどの内視鏡で異常はみつからないものの、強い酸を伴った胃の内容物が食道に逆流して胸やけなどの不快感を覚えるものである。両疾患は胃潰瘍、十二指腸潰瘍とともに「酸関連疾患」と呼ばれている。
ならば、これらの疾患をもたらす胃酸とは、人間にとってどのような役割を果たしているのか。
東京大学医学部附属病院の消化器内科で胃腸を専門に研究している山道信毅助教によると、胃酸の役割は「殺菌」だという。
「胃酸はph1~2という強い酸度をもっていますが、それは口から食べたものについているさまざまな雑菌、ばい菌を殺すためなのです」と山道さんは語る。
人類は生まれてからさまざまなものを食べて生き延びてきた。なかには体にそぐわないものや危ないものもあったろう。つまり、それらの食べ物から身を守ってきたのが胃酸というわけだ。
では、胃の役割はなんなのか。
「胃は食べたものを溜めておく大きな袋と考えてください」と山道さんは言う。「口で噛み砕いたものを胃で溜めて、胃酸によって殺菌します。そして消化しやすいようにやわらかくするのです。実は、胃ではほとんど栄養分を吸収しません。十二指腸からその下部にある腸で本格的に吸収するのです」。
栄養素に分解して吸収するのは小腸の役目だ。たしかに、原始的な生物は栄養分を吸収する器官は備えているが、胃があるのは高等動物に限られる。消化器官のなかでいちばん最後に形成されたのは胃だといわれている。胃と胃酸は、人類が生き延びるためにひじょうに重要な役割を果たしてきたのである。
ところが、現在の日本や欧米などの先進国のように衛生環境が整っている社会では、食べ物が安全なので昔ほど胃で殺菌する必要がなくなっているため、胃酸の必要性は少なくなっていると考えられている。
「衛生環境のあまりよくない国では役に立っていますが、先進国では胃酸が自分自身を攻撃するデメリットの方が大きい場合もしばしばです」
山道さんによると、もともと胃は胃酸に粘膜が溶かされないようにかなり強固にできているという。ところが、胃のそばにある十二指腸や食道は胃酸に強くない。だから胃酸が上にいくと逆流性食道炎に、下にいけば十二指腸潰瘍になるのだ。
「胃酸の分泌を促すから」と悪者扱いされてきた。
衛生環境の変化によって自分(胃)を攻撃するようになった胃酸だが、カフェインには胃酸の分泌を促す性質がある。そのため、カフェインを多く含むコーヒーは「潰瘍を悪化させる」とこれまでは考えられていた。
しかし、山道さんは「ほんとうにコーヒーは悪影響を及ぼすのだろうか?」と疑問に思っていた。
「広く知られていることですが、コーヒーにはリラックス効果がありますね。リラックスは緊張やストレスの逆の作用、つまり胃酸の分泌を抑えることにつながります」
カフェインが胃酸の分泌を促すのは事実だが、たとえばお茶にもカフェインは含まれている。しかし悪者扱いはされていない。そこに矛盾を感じる。
「コーヒーにはポリフェノールなど体によい働きをする物質も含まれています。ですからカフェインだけを取り出して考えるのではなく、コーヒーを総合的に考えて、最終的にどういう影響を及ぼしているのかを調べたいと思いました」
カフェインは胃酸の分泌を促す。だから潰瘍には危険――という考え方は短絡的ではないかと、山道さんは考えたのだ。
もう1つ理由がある。それはこれまでの「コーヒーと潰瘍」に関する医学的な調査報告にばらつきがあるという点だった。
「『コーヒーは危ない』という研究者と『コーヒーはむしろ安全だ』と主張する研究者に分かれていたのです。しかも『今の家庭には急須がない』という記事が出るほど、多くの人がお茶よりもコーヒーを飲んでいます。私もコーヒーが好きなので、きちんと解析してみようと思いました」
コーヒー以外の因子も含めて同時に解析。
山道さんは統計・疫学の専門家である島本武嗣氏とタッグを組んで、コーヒーの摂取と酸関連疾患の関連を調べることにした。契機となったのは大規模なピロリ菌の研究の一環として、健康な成人およそ2万人のデータを扱う責任者になったことだった。
「2万人のうち、半数近くの人にコーヒーの飲用について細かく聞いていたのです」と山道さんは言う。これは解析するにあたって非常に重要なファクターだった。というのも、コーヒーと潰瘍に関する報告が揺れているのは、たんに「コーヒーを飲むかどうか」だけを取り上げて、コーヒーと疾患の関係を解析(単変量解析)しているものが大半を占めていたからだ。
「他の因子も同時に解析しなければ、間違った解が出てくるでしょう。今回は、ピロリ菌や飲酒などの危険因子が同時に解析できるデータがあったことが有意義でした」
ピロリ菌という名を知っている人も多いだろう。ヘリコバクター・ピロリという胃に生息する細菌だ。自らの周囲を酵素で中和するピロリ菌は、強酸となる胃のなかで生きられる唯一の細菌である。1983年に発見されたが、胃潰瘍や十二指腸潰瘍だけでなく胃がんなど胃の疾患に関して大きな影響を及ぼすことが医学的に証明されている。
山道さんたちは、コーヒー摂取量、年齢、性別、BMI、ペプシノゲンⅠ/Ⅱ比(*)、喫煙、飲酒、ピロリ菌感染という疾患に結びつく可能性のある因子をそろえ、同時に解析して結果を見る「多変量解析」を実施。これによって、酸関連疾患として最も頻度の高い4疾患(四大上部消化管疾患)に対する正確な影響を明らかにしようとした。
コーヒーの摂取による関連性は認められない。
解析には、千葉県にある亀田総合病院附属幕張クリニックで、2010年1年間に人間ドックを受診した成人9517人のデータにあたった。そして、①胃の手術を受けた人、②胃酸を抑える薬を飲んでいる人、③ピロリ菌を薬で除菌したことがある人を除く、20歳から87歳の8013人(男性4670人、女性3343人)を対象とした。
「できるだけピュアな条件の人々を解析したかったからです」と山道さんは振り返る。
8013人のうち、胃潰瘍(瘢痕を含む)が172人、十二指腸潰瘍(瘢痕を含む)が282人、逆流性食道炎が994人、非びらん性胃食道逆流症が1118人いた(重複あり。図3参照)。異常なしは5591人だった。
また、1日あたりのコーヒー摂取量は3区分あり、①1杯未満が2562人、②1~2杯が2978人、③3杯以上飲む人が2473人だった。その他の因子についてもかなり細かく設問した。
山道さんたちは多変量解析を2011年に行なった。その結果、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、逆流性食道炎、非びらん性胃食道逆流症のすべてにおいて、「疾患とコーヒー摂取の因果関係」は認められなかった。
「コーヒーは、たしかに胃酸を増やす働きをしますが、逆に心身をリラックスさせる効果もあります。総合的にみると、コーヒーが酸関連疾患として頻度の高い4疾患に与える影響は今回の疫学的な解析では認められないという結論になりました」と山道さんは語る。
さらに、胃潰瘍と十二指腸潰瘍については、過去の既報データに今回の結果を加えた「メタ解析」も行なった。メタ解析とは複数の比較試験の結果を統合して、より高い見地から分析する手法のことである。
「日本と海外で50以上の論文を調べました。そのなかにはメタ解析で使えないようなものも交じっていたので、取捨選択には相当時間がかかりました」
その結果でも、コーヒーの摂取と胃潰瘍、十二指腸潰瘍とのあいだに関連は認められなかった。
「コーヒーは危険因子でもなく、予防(安全)因子でもないというのが現時点での結論で、今のところ『関係ない』だろうと考えています」と山道さんは語った。
5年先、10年先の追跡調査も続ける。
今回の多変量解析によって明らかになった四大上部消化管疾患の危険因子は、図4の通り。胃潰瘍と十二指腸潰瘍はピロリ菌の感染が最も大きく関与している。
興味深いのは逆流性食道炎である。これはピロリ菌非感染、つまりピロリ菌がいないことが、逆流性食道炎の大きなリスクとなっているのだ。
「日本人に逆流性食道炎が増えているのは、実はピロリ菌が減ったことが要因の1つだと考えられています。このこともあり、ピロリ菌をすべての人で除去すべきかどうかは、医学者のあいだでも意見が分かれるところです」
今回の解析は、今知られている危険因子をすべて盛り込んだうえでの結果なので「これまでの解析では最も精度の高いものと考えています」と話す山道さん。そして、人種間にもある程度の違いがあるため、とりわけ日本人のデータとして貴重な発表になるかもしれないとも言う。今後は、対象集団を継続的に追跡していくコホート研究に取り組みたいと考えている。
「今回は『クロスセクショナル』と呼ばれる一時点での横断的研究なので、完璧ではありません。2010年の時点でコーヒーを飲んでいた人が、5年先、10年先にどうなっているのかは今はわかりません。前向きな解析を続けることが重要なので、まずは2015年にデータを集める予定です。リピーターの多い人間ドックなので今回の対象者の75%は追跡できるでしょう」
一般に認知度の高い胃潰瘍と十二指腸潰瘍は、薬の開発とピロリ菌の除去によって激減した。しかし、逆流性食道炎と非びらん性胃食道逆流症をあわせると、患者数は軽い症状の人も含めて我が国の人口のおよそ2割以上になるといわれており、これからも増え続けると予測されている。
山道さんたちが行なった今回の解析によって、コーヒーと四大上部消化管疾患には関係がないことが明らかになった。私たちはコーヒーをどう楽しめばよいのだろうか。
「コーヒーが悪い影響を及ぼすわけではないことがわかりました。ただし今回は『3杯以上』という区分で聞いています。1日にコーヒーを10杯以上飲む人のリスクまでは調べられていませんが、1日3~4杯程度であれば、それほど気にする必要はないでしょう」と山道さんは笑う。
現代人特有のストレスを軽減するために、ほどほどの量のコーヒーを飲む。これが正しい楽しみ方といえそうだ。
(やまみち・のぶたけ)
東京大学医学部附属病院消化器内科助教、消化器内科第108研究室室長。医学博士。消化器疾患を対象に、疫学解析と基礎研究の2本柱で研究を行なう。研究テーマは「発癌機構の解明、消化管分化の解明」と「消化器疾患の疫学研究」。