
歴史
初めてアフリカ大陸で発見されてから現在に至るまで、
コーヒーはどのように人々とかかわり、進化してきたのでしょうか?
History of coffeeコーヒー史 |
General History一般史 |
コーヒーノキの原産地はエチオピアと考えられ、その後、アラビアに伝えられたとされる
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年代不詳
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(コーヒー起源伝説Ⅰ)
エチオピアの羊飼いカルディが山羊のコーヒー豆を食べるのを見てコーヒーの飲用を発見 |
年代不詳
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(コーヒー起源伝説Ⅱ)
イスラム教の聖者シーク・オマールが鳥がコーヒーの実をついばんでいるのを見てコーヒーの飲用を発見 |
年代不詳
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10世紀
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イスラムの世界的医学者ラージー (ラーゼス)が、コーヒーの効用について記述
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900年頃
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11世紀
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哲学者医学者のアビセンナ「イブン・シナー」がコーヒーの具体的な飲用法を書き残す
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12世紀
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1185年
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鎌倉幕府成立(日本)
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13世紀後期
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この頃、豆を煎って煮出すようになったとされる
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15世紀
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聖者・碩学シーク・ゲマレディンがアビシニヤ(エチオピア)へ旅し、コーヒーの効能を知りイスラム全土に紹介
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1454年
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1467年
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応仁の乱、戦国時代開始(日本)
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イエメン地方にコーヒーノキが移植され、栽培が始まる
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1470年
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メッカとメディナに広まり、コーランで酒を禁止されているイスラム教徒に熱狂的に飲用されるようになる
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1470-1500年
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1492年
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コロンプスがアメリカ大陸に到達
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1500年
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ポルトガル人がブラジルに来航
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16世紀
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アラブ人によって、イエメンからセイロンへコーヒーノキが伝えられる
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1505年
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エジプトのカイロにコーヒーの飲用が伝わる
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1510年
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メッカ事件(コーヒー弾圧事件)
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1511年
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オスマントルコのセリム1世がエジプトを征服。コーヒーがイスタンプールに伝わる
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1517年
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1519年
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マゼラン、世界一周へ出発
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1543年
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鉄砲伝来(日本)
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1549年
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フランシスコ・ザピエル来航、キリスト教伝来(日本)
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イスタンプールに世界最初のコーヒーハウス「カーヴェハーネ」開店
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1554年
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ドイツ人医師で植物学者のレオンハルト・ラウヴォルフが東方諸国を巡り『旅行記』を著し、そのなかでコーヒーをヨーロッパに紹介。コーヒーについての最も古い記述として知られる
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1583年
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1519年
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豊臣秀吉、天下統一(日本)
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1519年
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イギリスが東インド会社をつくる
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17世紀
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ローマ法王クレメンス8世がコーヒーを「異教徒のみの飲み物にしておくのは惜しい、キリスト教徒の飲み物にせん」と宣言し、キリスト教徒に広まる
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1600年頃
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1603年
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江戸幕府成立(日本)
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ペネチアにコーヒーが伝わり、ヨーロッパ圏へ広まる
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1615年
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1635年
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長崎湾内に出島が築造される(日本)
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1639年
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鎖国が完成(日本)
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商業目的でオランダの商人ヴルフバインが、はじめてモカ港よりコーヒーを輸入。アムステルダムで売り出す
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1640年
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和蘭商館が平戸から出島に移される。以後、オランダ人によりコーヒーが出島に持ち込まれる(日本)
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1641年
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ヨーロッパ最初のコーヒーハウスがベネチアに開店
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1645年
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イギリスで最初のコーヒーハウスがオックスフォードに開店
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1650年
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ロンドン発のコーヒーハウスがパスカル・ロゼーによって開店
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1652年
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オランダ人がセイロンでコーヒーの栽培を開始
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1658年
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北アメリカにコーヒーが伝わる
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1668年頃
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フランス上流社会にコーヒーが伝わる
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1669年
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ドイツにコーヒーが伝わる
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1670年頃
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イギリスでコーヒーハウスを利用した郵便制度が開始
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1680年
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ウイーン包囲失敗でトルコ軍が残したコーヒー豆でコルシツキーがウイーンで最初のコーヒーハウスを開業
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1683年
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フランスの著名な医師モナンが健康に良いとカフェオレを勧める
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1685年
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パリのコメディ・フランセーズに、後に多くの著名人が集うことになる「カフェ・ブロコール」が開店
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1686年
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1687年
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ニュートンが「万有引力の法則」を確立
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イスラム教巡礼者バパ・ブータンがイエメンからインド・マイソール(インド南西岸)へ繁殖力のあるコーヒー豆を伝え、インドで生産が始まる
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1695年
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オランダがインド・マラバル(インド南西岸)からコーヒーノキの苗木を運搬しオランダ領インド諸島(ジャワ島)へ運び、栽培に成功。インドネシアの全てのアラビカ種の先祖となり、やがてジャワ島が大供給地となる
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1699年
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18世紀
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ジャワ鳥からアムステルダム植物園へコーヒーノキが持ち込まれる。この木の種子が元になって、世界各地へコーヒーが伝播
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1706年
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1707年
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ドイツのベドガーが白色の硬質磁器を作ることに成功
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1710年
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マイセン磁器製造所が本格的に稼動
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ジャワ島のコーヒー豆がアムステルダムで競りに出される
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1712年
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アムステルダム市長からパリのマルリー城のルイ14世へコーヒーノキが送られ、植物園で育てられる
コーヒーノキがパリからレユニオン鳥等のアフリカ西海岸諸国へ
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1714年
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1717年
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トーマス・トワイニングがイギリス最初のティー・ハウスを開店
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フランス人、ガブリエル・マチュ・ド・クリューがパリ植物園からコーヒーの苗木を西インド諸島マルティニク島へ運ぶ。後に、西インド諸島、メキシコ湾沿岸各地へ広がり、中南米のコーヒー栽培が拡大
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1723年
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和蘭商館長が参府。この時の幕府関係者との対談をまとめた「和蘭問答」の中に、コーヒーと思われる記述がある(日本)
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1724年
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ブラジル(アマゾン河口のポルトガル領パラ)にコーヒーの種子と苗木が入り生産開始
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1727年
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バッハが「コーヒー・カンタータ」を発表し、自らの指揮でカッフェで初演
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1734年
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1744年
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イギリスのトーマス・フライがポーン・チャイナを発明
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リンネがコーヒー (Coffea Arabica) を分類·命名
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1753年
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イギリスが、植民地アメリカへの茶の輸入率関税を撤廃しなかったために起きた暴動「ボストン茶会事件」が起こり、アメリカでコーヒーの消費が促されるきっかけとなる
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1773年
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1776年
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アメリカ独立宣言
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フリードリヒ大王(ドイツ)によるコーヒーの輸入弾圧によりコーヒーの代用品チコリー等が出回る
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1777年
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日本初のコーヒーに関する文献とみられる、蘭学者志筑忠雄の訳書「萬国管窺」が出版(日本)
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1782年
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1789年
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フランス革命
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長崎の井出要右衛門がはじめて大宰府天満宮にコーヒーと砂糖を奉納(日本)
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1797年
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フランスのド・ペロイがドリップボット(微小な間隙を使ってコーヒーを抽出し粕と分離する)を発明
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1800年
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19世紀
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長崎奉行に勤務していた大田蜀山人が、紅毛船ではじめてコーヒーを飲んだ体験を、焦げ臭くて味わうにたえないと残す(日本)
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1804年
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ナポレオンが皇帝となる
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ナポレオンの大陸封鎖により代用コーヒーが出回る
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1806年
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ブラジル産のコーヒーがはじめてヨーロッパへ
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1818年
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ネルドリップ方式がイギリスに現れる
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1821年
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1822年
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ブラジル独立
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1823年
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シーボルトが長崎へ来住(日本)
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シーボルトが、コーヒーは長寿をもたらす良薬であると「薬品応手録」で解説(日本)
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1826年
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イギリスでコーヒーのサイフォン式抽出機が発明される
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1840年
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1853年
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ペリーが浦賀に来航(日本)
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商品としてコーヒーがはじめてオランダより入荷(日本)
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1856年
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1858年
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日米修好通商条約締結(日本)
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1868年
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明治維新(日本)
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横浜の邦字新聞「萬国新聞」に、コーヒーの広告が掲載(日本)
スリランカでさび病が発生し、茶生産へ転換
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1869年
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コーヒーノキを小笠原に試植
(4年後に収穫があったが、一般の栽培は行われなかった)(日本) |
1878年
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東京下谷黒門町で鄭永慶(ていえいけい)が喫茶店「可否茶館」を開店(日本)
ブラジルが奴隷制を廃止し、コーヒー豆生産の労働に影響を及ぼす
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1888年
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1889年
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大日本帝国憲法発布(日本)
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1896年
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アテネで第一回近代オリンピック開催
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サビ病性に強いロブスタ種(カネフォラ種の一変種)を、フランスの植物学者ビエールがウガンダ西海岸で発見し、命名
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1897年
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加藤サトリ氏がインスタントコーヒー発明(日本)
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1899年
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20世紀
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加藤サトリ氏がバッファローの全米博覧会で、インスタントコーヒーを発表(日本)
アメリカ人ジョージワシントンが別の方法で特許を得て、インスタントコーヒーの生産を開始。以後、工業化へと発展
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1901年
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世界供給の4分の3を占めるブラジルのコーヒー豆が暴落
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1903年
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1904年
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日露戦争開戦(日本)
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ドイツのメリタ・ペンツ夫人がベーパードリップ方式を考案
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1908年
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日本がブラジル移民第一陣を送り込む(日本)
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東京銀座に「カフェ・ブランタン」(松山省三)、「カフェ・パウリスタ」(水野龍)、「カフェ・ライオン」(精養軒) とカフェーを称する店が相次いで開店(日本)
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1911年
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株式会社「カフェ・パウリスタ」がブラジル・サントス州政府の後援のもとでコーヒーを宣伝するために各地に喫茶店を開店。コーヒーの普及に大きな効果を与える(日本)
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1912年
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1914年
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パナマ運河開通、第1次世界大戦
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アメリカ合衆国の禁酒令により、コーヒー飲用が拡大
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1920~
1933年 |
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コーヒーに関する本格的書籍W・H・ユーカース著 「ALL ABOUT COFFEE」 創刊
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1922年
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1923年
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関東大震災(日本)
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世界大恐慌
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1929-1933年
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東京のカフェ急増、サロン風の喫茶店大流行(日本)
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1930-
1935年頃 |
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アフリカ象牙海岸でコーヒーの栽培開始
ブラジルのコーヒー豆の生産過剰で、廃棄対策が始まる
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1931年
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満州事変(日本)
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戦時体制の強化により、コーヒーの輸入制限開始(最高水準である1927年の8,751トンの半分に減少。コーヒー代用品である大豆、麦等が出回り始める)(日本)
大日本珈琲統制組合が結成(日本)
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1938年
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国家総動員法公布(日本)
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コーヒーに初めて10%の物品税が課税される(日本)
インスタントコーヒーがアメリカ軍の携行品として採用
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1939年
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第二次世界大戦勃発
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農林省が「代用珈琲統制要綱」で代用コーヒーの規格を定める(日本)
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1941年
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太平洋戦争が始まる(日本)
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コーヒー豆の輸入が完全に途絶える(戦時中は統制会社日本コーヒーによりレギュラーコーヒー、インスタントコーヒーが製造され、軍に納入された)(日本)
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1942年
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コーヒー豆不足が5年後の輸入再開まで続き、コーヒー豆は貴重品となる(日本)
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1945年
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第二次世界大戦終戦
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連合軍放出コーヒーの払い下げが行われ、各地の組合を通じて家庭配給された(日本)
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1948年
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8年ぶりにコーヒー豆の輸入が再開 (日本)
コーヒー豆の物品税が50%から30%に引き下げ(年ごとに順次引き下げ)(日本)
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1950年
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パンなど、米以外の主食が自由販売となる(日本)
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1951年
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サンフランシスコ平和条約調印(日本)
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戦後初のブルーマウンテン輸入(日本)
全日本珈琲協会設立(日本)
ブラジルで大規模な霜害が起き、国際コーヒー市況が高騰
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1953年
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1955年
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日本、GATTに正式加入(日本)
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インスタントコーヒーに対し輸入外貨が割り当てられ、初めて一般市場に登場(日本)
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1956年
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1958年
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インスタントラーメンの開発に成功(日本)
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コーヒー生豆輸入全面自由化(日本)
多数の国内メーカーがインスタントコーヒーの製造を開始した(日本)
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1960年
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日本政府が貿易為替自由化大網を発表(日本)
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インスタントコーヒー輸入の全面自由化(日本)
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1961年
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第一次国際コーヒー協定(ICA)成立
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1962年
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国際コーヒー機関(ICO)設立
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1963年
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日本が国際コーヒー協定に加盟(日本)
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1964年
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東京オリンピック開催、東海道新幹線開通(日本)
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コーヒー関係団体が参加する、全日本コーヒー振興協会が設立(翌年、全日本コーヒー協会と改称)(日本)
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1965年
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フリーズドライ製法による製品が登場(日本)
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1967年
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ICA輸出割当て制度の導入
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1968年
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缶コーヒーが本格的に発売される(日本)
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1969年
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米宇宙船アポロ11号月面着陸
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コーヒー豆の年間輸入量が恒常的に10万トン台になる(日本)
レギュラーコーヒー400g以上の大型缶の輸入自由化。400g未满は1963年自由化(日本)
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1970年
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事業所統計で喫茶店が7万3651軒と3年間で約5万軒増える (日本)
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1972年
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1973年
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第一次オイルショック(日本)
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ブラジルで大規模な霜害が起き、国際コーヒー市況が高騰
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1975年
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社団法人全日本コーヒー協会設立(日本)
全日本コーヒー商工組合連合会が「日本コーヒー史」を発刊(日本)
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1980年
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事業所統計の喫茶店数が15万4,630軒と最高に(以後は減少の一途)(日本)
缶コーヒー業界等が組織する日本コーヒー飲料協会が発足(日本)
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1981年
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アメリカスペシャルティコーヒー協会発足
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1982年
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10月1日をコーヒーの日とすることを決定(日本)
コーヒー豆の年間輸入量が恒常的に20万トン台に(日本)
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1983年
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東京ディズニーランド開園(日本)
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ブラジル干ばつによる国際市況高騰
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1985年
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ブラザ合意 1ドル235円が一年後には120円へ(日本)
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消費税の施行と同時に、コーヒー豆の物品税が廃止(日本)
ICA輸出割当制の停止(制度の廃止自体は1994年)
国際コーヒー市況大暴落
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1989年
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「ベルリンの壁」崩れる
平成に改元(日本)
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ブラジルコーヒー院(IBC)が解体
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1990年
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バブル崩壊(日本)
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全日本コーヒー公正取引協議会が発足し、製品表示等の規程を定める(日本)
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1991年
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コーヒー豆にも残留農薬基準が定められる(日本)
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1992年
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コーヒー豆の年間輸入量が恒常的に30万トン台になる(日本)
アメリカ合衆国が国際コーヒー機関(ICO)脱退
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1993年
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ブラジルで大規模な霜害が起き、国際コーヒー市況が高騰
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1994年
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英仏海峡トンネル開通
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国際コーヒー科学会議(ASIC)を京都で開催(日本)
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1995年
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阪神·淡路大震災(日本)
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全日本コーヒー協会が、コーヒーと健康に関する研究の助成事業を開始(日本)
シアトル系コーヒーショップチェーン展開始まる。エスプレッソコーヒー人気高まる(日本)
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1996年
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生産減に伴う需要ひっ迫で国際市況高騰
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1997年
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1999年
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ユーロ誕生
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21世紀
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ブラジル・ベトナム増産等による国際市況暴落
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2001年
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アメリカ同時多発テロ
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日本スペシャルティコーヒー協会設立。スペシャルティコーヒーブームはじまる(日本)
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2003年
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アメリカ合衆国が国際コーヒー機関(ICO)に復帰
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2005年
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残留農薬等のポジティブリスト制度施行(日本)
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2006年
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2008年
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リーマンショック(日本)
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日本政府、国際コーヒー機関を脱退(日本)
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2009年
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民主党政権成立[~2012年](日本)
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需要ひっ迫等に伴う国際市況高騰
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2010年
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2011年
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東日本大震災(日本)
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東京穀物商品取引所が解散し、コーヒー上場廃止(日本)
全日本コーヒー協会、社団法人化(日本)
コンビニエンスストアでカウンターコーヒーの販売が始まる(日本)
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2013年
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国際コーヒー機関(ICO)が10月1日を「国際コーヒーの日」に制定
日本が国際コーヒー機関(ICO)に再加盟(日本)
国立がん研究センター「コーヒーを1日3〜4杯飲む人の死亡リスクは飲まない人より24%低下」とするコホート研究を発表(日本)
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2015年
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スペシャルティコーヒー協会(SCA)発足(アメリカスペシャルティコーヒー協会とヨーロッパスペシャリティコーヒー協会が統合)
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2017年
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アメリカ合衆国が国際コーヒー機関(ICO)から脱退
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2018年
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2019年
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令和に改元(日本)
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2020年
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コロナウイルスパンデミック発生
外出自粛等の行動制限を含む感染症対策実施 |
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ブラジル霜害等による国際コーヒー市況高騰
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2021年
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東京オリンピック(日本)
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「コーヒーかす」の呼称を「抽出後のコーヒー粉(コーヒーグラウンズ)」とすることを全日本コーヒー協会が提唱(日本)
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2022年
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