COFFEE BREAK

CINEMA

文化-Culture-

2021.09.14

ハートリー監督が描く、人生とコーヒーの苦味。

Illustration by takayuki ryujin

 映画監督のハル・ハートリーは、まだ無名だった下積み時代に、ニューヨークの図書館やダイナーにこもって脚本を書いていた。なにかしらものを書く人であれば、ノマドワークなんて言葉が聞かれるようになるずっと前から、喫茶店やファミレスをハシゴして、一杯のコーヒーやドリンクバーで長居する日常にはなじみがあるだろう。才能ある映画監督とて例外ではない。

 ただし店にとっては、お金は落とさないしなかなか帰らないしで、決して上客とは言えない。それでもハートリーはギリシャ系の店員に「もっと食べなくちゃ身体がもたないよ」と心配してもらっていたという。191センチの長身でガリガリに痩せていたハートリーはさぞや不健康に見えたのだろう。

イザベル・ユペールが、元尼僧のポルノ小説家に。

 1994年の『愛・アマチュア』には、そんなハートリーの実体験が反映されていたのではないかと思わせるダイナーのシーンがある。

 主演はフランスを代表する名女優イザベル・ユペール。ユペールはハートリーが1990年に発表した『トラスト・ミー』を観て「一緒に仕事がしたい」とニューヨークの小さな事務所にファックスを送った。まさか国際的な俳優から連絡があると思わないスタッフはそのまま放置していたが、たまたまハートリーがファックスに目を留めたことからコラボが実現したらしい。

 ハートリーはユペールのために、主人公に彼女と同じイザベルという名前を付けた。人生の大半を修道院で過ごしてきた元尼僧で、男性経験はないのに自分は淫乱だと信じ、なぜかマンハッタンでポルノ小説家を目指しているという一風変わったヒロインだ。

 イザベルは登場シーンで、ダイナーのカウンターに座り、編集者が「文学的すぎる」と頭を抱える彼女なりのポルノ小説をワープロに打ち込んでいる。しかも一言一句を音読しながら。マイペースな彼女は、他の客の迷惑顔やクレームを気にしようともしない。

 しかし店員から「コーヒーの一杯や二杯で居座られちゃ迷惑」と言われて、遠慮がちに反論する。「でも今朝はマフィンを買ったわ」。そんなのはウソだと言い張る店員に、小さな声で言い返す時のセリフがいい。「カビてた」。

 物語は、イザベルがいるダイナーにひとりの男が迷い込んだことで大きく動き出す。男は記憶喪失で、自分の名前すら思い出せず、頭にはひどい傷を負い、ポケットに入っているのはオランダの通貨だけ。明らかに訳ありの男にイザベルは朝食をおごってやる(店員は「あら、お金持ってたのね」と皮肉を言う)のだが、やがてふたりは惹かれ合い、危険と驚きに満ちた逃避行を共にすることになるのである。

〝器用貧乏〟で飄々とした、主人公の未来に幸あれ!

 ハートリーの映画では、誰もが誠実さや信念を探し求めて右往左往している。そんな彼らの不器用な姿を喜劇と悲劇を絶妙にブレンドさせて描いているのだが、2011年の作品『はなしかわって』のジョセフ・フルトンはまさにハートリー的主人公の典型だ。

 ジョセフはフリーランスの中年男で、いうなればなんでも屋。ある人は彼のことをジャズドラマー、別のある人は映画プロデューサーだと思っている。ものを修理することが得意でどこにいっても重宝される好人物だが、なにかひとつのことで大成した試しがない。

 ある日、若い恋人と別れて寝る場所を失ってしまう。クレジットカードは止められ、ポケットにある現金もわずか。神様が"器用貧乏"を人の形にしてみたら、きっとジョセフができあがるに違いない。映画では、そんなジョセフがマンハッタンを縦断しながら様々な人たちと出くわす一昼夜が描かれる。

 橋の上で佇んでいる物憂げな女性を見かければ自殺を心配して声をかけ、移民のトラック運転手に道を聞かれれば一緒に荷物を運んでやる。バーでタイプライターが壊れたと嘆く作家に出会うと、その場でタイプライターを直し、修理代をもらったりはしない。「せめて一杯おごらせてくれ」と言われて初めて、「じゃあ、それなら」と一緒に人生談義に花を咲かせるのだ。

 人柄の良さにかけては、ジョセフはマンハッタンで一番かも知れない。しかし彼自身の人生はままならず、世の中はいつだって世知辛い。軽いタッチのコメディながら、そこにはコーヒーのような苦味がある。

 道端では、自分がCM出演を世話した黒人の女の子と再会する。まだギャラをもらっていないと怒る彼女に、なけなしの持ち金を貸してやり、ギャラは自分が立て替えるから明日の朝にATMの前で会おうと約束する。翌朝、少女が借りていた金を返すと言うと、「いや、コーヒーでもおごってくれればいい」と答えるのだ。

 人には親切に、お金には執着せず、誰とでも気さくに対話する。成功と無縁とはいえひとつの理想の生き方かも知れない。映画は彼の人柄と同様に飄々と幕を下ろすが、「この男の未来に幸あれ!」と願わずにはいられない。

『愛・アマチュア』

記憶喪失の男と元尼僧が出会う。男の記憶をたどるうちに冷酷な犯罪者であることがわかるが、ふたりは男の妻だった伝説のポルノ女優を犯罪組織から救い出そうとする。奇想天外な展開のラブストーリー。
©Possible Films

『はなしかわって』

恋人のアパートを出ることになったしがない中年男が、友人の家の鍵を借りようとマンハッタンを縦断する。たくさんの小さな出会いと交流を綴った、ささやかで微笑ましい一昼夜のロードムービー。
©Possible Films

文 村山 章(映画ライター)
更新日:2021/09/14
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