COFFEE BREAK

BOOK

文化-Culture-

2012.10.26

コーヒー歴史トリビア・クイズ

謎めいているからおもしろい!
コーヒー歴史トリビア・クイズ 〈ヨーロッパ伝播期編〉

 いまや世界中の人々に愛されているコーヒー。ドラマに満ちたその歴史には、解明されていない謎が多く残されている。クイズ形式のコーヒー歴史トリビア、第2回はヨーロッパに伝わった時代がテーマです。

Question1

コーヒー、ココア、茶。
ヨーロッパに伝わった順番は?

Answer1 ココア、茶、コーヒーの順

 ココアがスペイン人によってヨーロッパに伝えられたのは1528年のこと。それからほぼ80年後の1610年、オランダ人によって茶が伝えられた。ベネチアの商人がコーヒーをヨーロッパに伝えたのは1615年ごろのこととされている。いずれにしても、非アルコール系の世界三大飲料といわれるコーヒー、ココア、茶は100年足らずの間に相次いで外界からヨーロッパに伝えられたのだ。

Question2

コーヒーのことを初めて書物に記したドイツ人、レオンハルト・ラウヴォルフの職業は次の4つのうちのどれ?

a. 貿易商
b. 医師
c. 軍人
d. 聖職者

Answer2 b. 医師

 アウクスブルク市所属の内科医であり著名な植物学者だったレオンハルト・ラウヴォルフは、1573〜1576年の間に東方諸国を巡る旅をした。彼が帰国後著した『旅行記』にアレッポ(シリア)の町の風俗に関する次のような文章があり、これがコーヒーについての最も古い記述とされている。
〈きわめてすぐれたる飲み物ありて、人それをチャウベと呼ぶ。黒きことインキほどにて、疾病にきわめて効能あり、主として胃の疾病によし。早朝、開け放たれたる場所にて、皆の前にて恐れも心配もなく飲用す。陶器の碗を用いて、かなう限り熱きままなり。頻繁に口に運ぶが、一回に飲みたる量は少量なり。座りしまま悠然と過ごすなり〉
 ここに出てくる"チャウベ"こそはコーヒーのことである。

Question3

イスラム教徒の飲む「悪魔の飲み物」とされていたコーヒーを「キリスト教徒の飲み物」とするために、教皇クレメンス8世がとった秘策は次の3つのうちどれ?

a. 悪魔払い師に命じて、コーヒーに取り憑いた悪魔を払わせた
b. コーヒーに洗礼を施した
c. イエスもコーヒーを愛したという逸話をでっちあげた

Answer3 b. コーヒーに洗礼を施した

 コーヒーがローマに伝わって間もなくのこと。数名の聖職者が教皇クレメンス8世に「キリスト教徒がコーヒーを飲むことを禁じてください」と請願した。彼らにとって異教徒であるイスラム教徒によってもたらされたコーヒーは「悪魔の考え出した飲み物」というわけだ。この訴えを聞いて逆に好奇心が湧いた教皇は、その「悪魔の飲み物」を取り寄せて飲んでみることにした。初めてコーヒーを口にした教皇は叫ぶ。「この悪魔の飲み物、あまりに美味なり。異教徒のみに飲ませるのは惜しきこと。悪魔を欺かん。これに洗礼を施し、真のキリスト教徒の飲み物にせん」。かくして、コーヒーは洗礼を施され、教皇公認のキリスト教徒の飲み物になったという。

Question4

ジャマイカ、ドミニカ、ハイチなどコーヒーを産する島国が集まるカリブ海の西インド諸島。この地域にヨーロッパからコーヒーの木を持ち込んだのは次の4つのうちどの国の人?

a. スペイン
b. フランス
c. イタリア
d. ポルトガル

Answer4 b. フランス

 1720年ごろのこと、カリブ海のマルティニーク島で軍務に就いていた若きフランス軍海軍将校のガブリエル・マチュー・ド・クリューは、一時帰国した際にフランスからコーヒーの木をマルティニーク島に持っていくことを思い立つ。コーヒー栽培をカリブ海地域に伝えようと考えたのだ。しかし、当時コーヒーの木は王立植物園によって厳しく管理されていた。ド・クリューはある貴婦人を使って、裏ルートからコーヒーの木を入手する。マルティニーク島への行路、ド・クリューの乗った船は海賊の襲撃や嵐など数々の試練に遭う。それでも、限られた自分用の飲用水を与えてまでド・クリューはコーヒーの木を死守したのだった。ド・クリューの物語は当時の歌にも歌われた。彼が島に植えた苗木は強い繁殖力で子孫を増やし、やがて西インド諸島全体に広められる。今では当たり前のように流通しているカリブ海諸国のコーヒーは、ひとりの勇敢な男の献身から生まれたのだ。

Question5

"太陽王"ルイ14世の時代、最も華やかだったパリに初めてコーヒーを伝えたのは、
ある国から赴任してきた大使だった。
さて、どこの国?

a. ギリシャ
b. エジプト
c. トルコ
d. ケニヤ

Answer5 c. トルコ

 マホメット4世からトルコ大使としてフランスに赴任させられたソリマン・アガが大量のコーヒー豆をパリに持ち込んだ。パリっ子たちはたちまちコーヒーの馥郁たる香りと、コーヒーに付随する豊かなライフスタイルの虜になったという。アガ大使のパリ駐在は1669年7月〜1670年5月までという短い期間だったが、新たな刺激を求めていたパリっ子たちにコーヒー文化を広めるには充分だったようだ。

Question6

コーヒーのことを「精神を濃厚にし強め、活発にするは確かなり」と述べた17世紀イギリスの哲学者・キリスト教学者・政治家で「知は力なり」の名句を残した人物は?

Answer6 フランシス・ベーコン

 シェイクスピアと同一人物だったのではと噂されるベーコンは『世と死の物語』(1623年)の中で、〈トルコ人、カプヘ(caphe=コーヒーのこと)なる薬草を使う〉と書いている。また、『森の樹木』(1624年)でコファ(coffa=コーヒー)について次のように述べている。
〈トルコにてはコファなる飲み物あり。同じ名の豆より造りしものにて、煤のごとく黒き色にて......(略)。かの飲み物、脳と心臓にいたり、また消化を助くる。(略)精神を濃厚にし強め、活発にするは確かなり〉

※参考文献/『オール・アバウト・コーヒー―コーヒー文化の集大成』(TBSブリタニカ)

文・構成 浮田泰幸 / イラスト・マツモトヨーコ
更新日:2012/10/26

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