COFFEE BREAK

インタビュー

インタビュー-Interview-

2018.08.23

白石康次郎【海洋冒険家

白石康次郎【海洋冒険家】

生きていることを実感するコーヒー。
白石康次郎【海洋冒険家】

単独無寄港・無補給で世界一周する過酷なヨットレースに挑戦し続ける白石さん。コーヒーはレース中に英気を養う大切なアイテムです。

 子供の頃、サラリーマンの父が日曜日の夕方になるとサイフォンでコーヒーをいれてくれました。ぽこぽことお湯が沸くのを家族みんなで囲んで、コーヒーができ上がるのを待つ。一家団欒の風景として今も覚えています。  学生時代のコーヒーの思い出は、遠洋マグロ漁船の機関室。水産高校の実習でマグロはえ縄漁の船に2回、機関士として乗りました。1回の航海は約3カ月。機関室は船底にあり、休憩時間になると私が仲間たちによくコーヒーをいれたものでした。三崎港を出発して南太平洋でマグロを獲り、50トン獲れたらハワイに寄港して日本に戻ります。帰り路に飲むコーヒーは、船員さんがハワイで買ってきたハワイ産のコーヒーになるのです。これが美味しかった。マグロをたくさん獲れた充実感や、日本に帰る嬉しさとともに、船底にみんなで集まって飲んだコーヒータイムの楽しさ、忘れられません。  水産高校に進んだのは、幼い頃から抱いている〝船で世界一周をする〟という夢を叶えるためです。在学中に、1982年の単独世界一周ヨットレースで優勝したヨットマンの多田雄幸さんに弟子入りし、彼のレースをサポートしながら修業を積みました。そして94年、26歳の時に、ヨットで単独無寄港・無補給世界一周の史上最年少記録(当時)を樹立することができました。

レース中のコーヒーは、嗜好品以上の存在。

意外にも船に向いていない体で、乗るたびに船酔いが酷いという。「でも大好きなことなので辞めません」

 2016年に、世界一過酷な単独世界一周ヨットレースとされる「ヴァンデ・グローブ」にアジア人として初出場しました。フランスから出航し、アフリカ大陸の喜望峰、オーストラリアの南西を通って南極大陸を1周し、南アメリカ大陸最南端の岬を巡って出発地に戻ってくるというレースです。途中はどの港にも寄らず、食料や燃料の補給も一切なし。前回は29日目にマストのトラブルでリタイアしてしまったので、次の2020年の大会に再チャレンジして、完走を目指します。  私にとって、ヨットレースの間のコーヒーブレイクは自分を取り戻す大切な時間です。船には電気がないので、登山用のガスバーナーを使ってお湯を沸かします。コーヒーを飲めるのは、セールの上げ下げなどレースのための作業からちょっと解放されている時。邪念を振り払い、自分自身を見つめ直しながら心を静める良い機会です。冬のレースや南氷洋を航海する時には、たっぷり砂糖を入れます。砂糖はすぐに熱に変わるので、体を温めるのにも最適。冒険家の植村直己さんも砂糖を入れた紅茶をよく飲んでいたそうです。  洋上でほっと落ち着いてコーヒーを飲みながら、生きているなぁと実感します。それが夕暮れ時で、水平線に太陽が沈んでいく時間だったりすると、もう最高。大自然の中で飲む一杯のコーヒーがものすごい活力を与えてくれるのです。朝焼けや、満天の星空を眺めながらのコーヒーもいいですね。レース中は約1時間以上は続けて睡眠をとらないので、心身ともに平穏でいられるのはコーヒーブレイクしかない、といってもいいかもしれません。  私が初めて単独レースに出た時代は通信手段がアマチュア無線しかなくて、地球の裏側に行ってしまうと2、3カ月、連絡が取れなかった。それが今では電話やネットがつながって、とても便利になった反面、私たちスキッパーはヨットの操作以外にやることが増えて、とても忙しくなりました。だから、なおさらコーヒーブレイクは重要になってきている気がします。

文・牧野容子 / 写真・大河内禎
協力/サボウ溜池山王店(TEL 03-3589-1173)
更新日:2018/08/23
PROFILE
白石康次郎(しらいし・こうじろう) 1967年東京生まれ。神奈川県立三崎水産高等学校卒業。2006年、念願の単独世界一周ヨットレース「ファイブ・オーシャンズ」クラスI(60フィート)に参戦、歴史的快挙となる2位でゴール。08年、フランスの双胴船「ギターナ13」号に乗船、サンフランシスコ〜横浜間の世界最速横断記録を更新。子供達と海や森で学習する体験プログラムや小学生向けの世界自然遺産プロジェクトの活動も行なっている。
白石康次郎【海洋冒険家】
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