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コーヒー海外事情

リオ・デ・ジャネイロのコーヒーいまむかし

リオ・デ・ジャネイロ・コーヒー商業センター会長
ギリェルメ・ブラガ氏

 「歴史の陰に女あり」というが、ブラジル・コーヒーの発端にも男と女の恋物語があったと伝えられる。

 コーヒーがますます西洋人を虜にした18世紀、その消費に応えるべくフランスは、アンティル諸島及び南米の仏領ギアナでコーヒーを栽培した。

 仏領ギアナとスリナムに国境線問題が生じるとブラジルの軍人フランシスコ・デ・メーロ・パリェッタは調停を名目に、コーヒーの種を入手するために仏領ギアナに1727年に赴いた。門外不出のコーヒー豆だったが、パリェッタは仏領ギアナの総督夫人に近づき、別れ際に花束とともに、隠されたコーヒーの種を受け取ったと伝えられる。

 こうして隣国から持ち込まれたコーヒーは当初、北部パラー州で栽培されるが発展せず、その後、18世紀後半にリオ・デ・ジャネイロに持ち込まれて一大産業へと成長した。

 1808年にポルトガル王室と数多くの貴族や商人がリオ・デ・ジャネイロに亡命すると、その資本をもとに19世紀前半からリオ・デ・ジャネイロ州内での生産が本格化した。なかでも地理的に好条件のパライーバ川流域で1830年頃から発展し、1840年には、アメリカでの消費拡大によりコーヒーがブラジル第1の輸出品となった。しかし、土地の疲弊によってパライーバ川流域でのコーヒー生産は1870年頃から衰退し、産業の中心は広大な土地を有するサンパウロ州、ミナスジェライス州などに移って、今に至っている。

リオ・デ・ジャネイロの、コーヒー輸出と生産の現状。

1888年の奴隷制廃止後のリオ・デ・ジャネイロ州パライーバ川流域のコーヒー農園の様子。リオのコーヒー栽培は黒人奴隷の労働によって行われた。

Marc Ferrez / Coleção Gilberto Ferrez / Acervo Instituto Moreira Salles

「現在、コーヒー産業でのリオ・デ・ジャネイロの役割は、主に港湾業務にあります」とリオ・デ・ジャネイロ・コーヒー商業センター(CCCRJ)のギリェルメ・ブラガ会長が語るとおり、リオ・デ・ジャネイロ州の生産量は少なく、昨年度は約28万1千袋と全国シェアの0.005%を占めるのみだった。

 リオ・デ・ジャネイロ港は世界最大のコーヒー積出港のサントス港と比べれば量は少ないものの、近年の輸出量の急増は特筆に値する。2012年の数値は、前年比2.34倍の310万8,434袋となった。これは近隣のミナスジェライス州ゾーナ・ダ・マッタ地方で生産が急増していることによる。

 ブラジル・コーヒー輸出業者評議会常務も担うブラガ氏は、リオ・デ・ジャネイロの生産量が少ないことについて、「機械化に向かない土地が多いためリオでは大量生産が進みません。取り組むべきは品質の向上です」と言う。

 CCCRJは11年にリオ州産コーヒー豆の品評会を行い、受賞したコーヒーに特別なパッケージを施して、業界に配布するなどの宣伝を行った。

 セントロ・フルミネンセ地方、セラーノ地方のコーヒーは、サンパウロやミナスジェライス産に負けない品質を有しているが、生産量が少ないために知名度がない。ブラジルでも消費者がますます品質を求めるようになってきたいま、少量生産でも差別化が図れるブランド確立と更なる宣伝が必要だ。

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ブラジル主要情報
■ 面積 : 約851.2万平方キロメートル(日本の22.5倍)
■ 人口 : 約2億103万人(2013年)
■ 首都 : ブラジリア ※外務省HPより(2014年4月現在)

文・写真 仁尾帯刀
更新日:2014/06/27



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