COFFEE BREAK

文化

文化-Culture-

2017.04.20

カフェオレボウルと、ふたりのベティの物語。

Illustration by takayuki ryujin

 カフェオレボウル――という存在はすっかり市民権を得たようだが、筆者が初めてフランスを訪れた25年前、カフェオレボウルなるものに初めて出くわして大いに戸惑った。
 場所は貧乏旅行で泊まったアルルのユースホステル。いや、ユースホステルは英語だから、フランス語でオーベルジュ・ドゥ・ジュネスと呼ぶべきだろう。呼び名は変わっても、中身は世界のどこに行ってもさほど変わらない。簡素なベッドが並ぶ相部屋が特徴的な、若者向けの安宿である。
 朝食が付いても簡素なことがほとんどだが、アルルでは毎朝、宿泊客が一斉にテーブルにつく。そこにセットされていたのがカフェオレボウル、というより、当時の感覚で言えばパステルカラーのでっかい茶碗である。
 白米が出るわけでもあるまいに、一体なにに使うのだろうと思っていたらなみなみとポットのカフェオレを注がれた。コーヒーカップにしては持ち手がない。しょうがないので抹茶をすするように両手で持ち上げたが、行儀が悪いような気がして落ち着かなかったことを覚えている。

カフェオレボウルは、フランス家庭の必需品。

 さて、他国の文化を学ぶのに映画は打ってつけだ。2006年のフランス映画『ベティの小さな秘密』を観ると、ベティという愛称で呼ばれている10歳の少女エリザベスが、毎朝カフェオレボウルを日用品として使っている。
 ベティは立派なお屋敷に住んでおり、父親は隣接する精神科病院の院長先生。母親は外に恋人がいるらしく、ベティは10歳ながらに家族の危機を察している。ただし、森の廃虚の幽霊や施設の檻で殺処分を待つばかりの犬、顔に大きなあざを持つ転校生など、身の回りにも気にかかることがたくさんあって、子供の日々もなかなかに忙しい。
 母親が留守がちなので、ベティが朝食を共にするのはもっぱら父親だ。ベティはヤカンの上にコーヒーメーカーを載せたような二層式のポットで器用にコーヒーを作っては、カフェオレボウルに注いで飲んでいる。
 聞くところによるとフランスではカフェオレボウルとは呼称せず、「朝食用ボウル」、もしくはシンプルに「ボウル」と呼んでいるそうだ。ベティもコーヒーにパンを浸すこともあるし、時にスプーンを突っ込んでいるのはコーンフレーク的なものを食べているのだろうか。いずれにせよカフェオレ限定の器ではなく、その時々にあわせて便利に使えばいいらしい。
 ある日ベティは、隣の病院から逃げ出してきた患者の青年イヴォンに好意を抱き、倉庫代わりの古い小屋に匿う。飲み物を持っていってやろうと考えたベティは、カフェオレボウルをコーヒーで満たして小屋まで届けてやる。
 小屋は屋敷の目と鼻の先なのに父親が気づかないのは、仕事やこじれた夫婦関係で頭がいっぱいでベティにちゃんと気を配る余裕がないから。やがてベティは家庭にも人生にも絶望し、イヴォンと一緒に出奔することに決める。まだ10歳の少女なのに、まるで駆け落ちのようでもあり、世話が焼けるイヴォンの母親のようでもあるのが可笑しい。苦境に行き詰ってしまう女の子の物語だが、全編を包み込む優しい詩情が喜劇でも悲劇でもない、たゆたうような空気を生んでいる好編だ。

激しすぎる愛情の行方に、心が揺り動かされる。

もうひとり、フランス映画でベティと言えば忘れられないヒロインがいる。1986年に製作された『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』の19歳の少女ベティだ。こちらのベティはまだあどけない『ベティの小さな秘密』のベティとは打って変わって、官能的で破滅的な〝ファム・ファタール〟だ。
 ウェイトレスとして働くベティは、寂れたバンガロー村の管理人をしているゾルグと出逢い、一緒に暮らし始める。ゾルグに作家の才能を見出したベティは全力で応援するのだが、感情をコントロールできない激しすぎる性格から、しだいに精神の平衡を失っていく。ゾルグが「足を折った野生馬」と表現するように、骨折してもなお走り続けようとするベティと、彼女をとことんまで愛し抜くゾルグ。狂おしく哀しいラブストーリーでありながら、愛情がもたらす幸せの瞬間をみごとに切り取った傑作でもある。
 こちらのベティもカフェオレボウルの愛用者だ。公開当時はベティの大雑把な性格から、コーヒーをお椀に注いでガブガブ飲んでいるのかと思ったりしたが、いま思えばフランスでは当たり前の光景。知らず知らずのうちに知らない文化に触れていたのだ。
 ちなみに『ベティ・ブルー』には初公開時の121分バージョンと、後に再編集された178分の完全版『ベティ・ブルー インテグラル』がある。完全版の方が原作に忠実で、監督の想いもより詰まっているのだろうが、本作の場合はどちらが優れているというわけでもない。鮮烈な印象が残る初公開版と、ゾルグの愛が切々と伝わる完全版。どちらのバージョンもお薦めしたくなる稀有な例なので、興味のある方にはぜひ観比べていただきたい。

『ベティの小さな秘密』
現在DVDの販売は終了。

想像力豊かな10歳の少女ベティが、離婚危機の両親の問題や精神病院から抜け出した青年との交流を経て成長していく姿を描く。赤を印象的に使った色彩センスに象徴される映像の美しさも印象的。

『『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』』
DVD¥1,296、Blu-ray¥1,944
(ともに税込・発売中)
販売元:ハピネット

赤裸々な性描写と切ない物語で世界的に大ヒットした恋愛映画。本作でデビューした女優ベアトリス・ダルの抜身の刀のような存在感と、抒情的な音楽が観る者のメランコリーを掻き立てる。

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文 村山 章(映画ライター)
更新日:2017/04/20

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