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サントスのコーヒー博物館が編纂した、“コーヒー景気”時代の写真集。

コーヒーやカフェに関する本は海外でもたくさん出版されていますが、日本語に翻訳されるものはわずか。そこで、現地で見つけたとっておきの本を、著者インタビューとともに紹介します。第3回は、ブラジル発。ブラジルがコーヒー景気に沸いた時代の、コーヒー豆生産から輸出に至るまでの工程を紹介した写真集です。

 ブラジルのサントス港は、ラテンアメリカ最大の港湾施設だ。港沿いでは、コンテナを積み降ろす大型クレーンを背景に、時折、貨物列車が重量感を伴う金属音を辺りに響かせて走る。

 かつて「ブラジルのウォール街」とも称されたコーヒー取引所を改装した厳かな装いのコーヒー博物館は、港脇の旧市街にあって、観光客や修学旅行で訪れる学生を連日迎え入れている。

 コーヒー博物館の館長と学芸員らが編纂し、2016年に発行された写真集『コーヒー、鉄道と港』は、19世紀半ばから1930年代までの141点の写真で、主にサンパウロ州のコーヒーの生産と輸送を紹介した一冊だ。

「1920年代には、富裕なコーヒー農場主の間で、宣伝目的で農場のアルバムを作って海外のバイヤーに贈ることが流行りました。この本は、当時のアルバムを模して作りました」と編纂に携わったブルーノ・ボルトロットさん。

 また、取材に応じたもう一人の学芸員ピエトロ・アモリンさんは、「生産から輸出までを紹介する内容としたのは、この本が港湾業者の出資で制作されたものだったからです」と言う。

 コーヒー豆の生産と鉄道、港湾の「三位一体」は、19世紀後半から20世紀初頭にかけてサンパウロ州の発展を率いた。19世紀後半、それまでコーヒーの主要産地であったリオ・デ・ジャネイロ州西部で土地が疲弊すると、生産は隣のサンパウロ州へと移され、サントス港の整備が求められたのだった。

「問題はサントスと内陸を隔てる高低差800メートルの海岸山脈で、コーヒー豆などの荷を港へ運ぶにはラバのキャラバンに頼るばかりでした。当時ブラジルには山を越える鉄道技術がなかったので、イギリスやスイスの力を借りて、1867年にサンパウロ州で初の鉄道がサントス-ジュンジアイ間に敷かれたのです」とボルトロットさん。

 その後、輸送コストの削減とともに生産拡大を狙うコーヒー農園の農場主らの投資によって、複数の路線が敷設され、線路とともにコーヒー農園が州内の奥へと拡張していったのだ。

コーヒー博物館の図書館で、紐解いてほしい一冊。

「コーヒー博物館では、農園の写真こそ多数収蔵していますが、鉄道や港湾の写真はわずかです。そのため、サンパウロ市の移民博物館、サントス港博物館などのアーカイブから写真を集め、写真集に設けた『生産』『輸送』『港』という3つの章に、概ね同数の写真を配置することができました」とアモリンさん。

 ボルトロットさんとアモリンさんは、ともにサントス生まれだ。コーヒーと縁の深いこの街の出身者として本書を編纂することは、大きな喜びであり、かつ学ぶことが多かったという。

「農場の宣伝用の写真と輸出までの記録写真を、違和感なく配置することに苦心しました」とボルトロットさん。
「私たちの博物館で収蔵する写真を多数掲載できたことが嬉しかったです。写真をたくさん見せるには写真集が一番ですね」と写真集制作に初めて携わったアモリンさんは語る。

 貴重な写真が満載されたこの一冊、実は1000部限定で制作され、教育機関や図書館に配布された非売品だ。サントスのコーヒー博物館を訪れることがあれば、コーヒー関係の書籍が豊富な館内図書館でぜひ開いてほしい。

CAFÉ, FERROVIA E PORTO『コーヒー、鉄道と港』
ブラジルは19世紀半ば以降コーヒー豆の生産・輸出国として不動の世界一だ。その輸出を担ってきたのがサントス港で、2018年度は、輸出用コーヒー豆の8割強を出荷した。かつての農場の宣伝用アルバムを模したこの一冊は、写真を解説することなく、コーヒー豆が農場で生産され、鉄道を経て港に至るまでの工程を流れるように紹介している。白黒とセピア調の写真が代わる代わる掲載され、視覚的なリズムを刻んでいる。
出版社:auana 非売品
言語:ポルトガル語 /2色 24×30.5cm

著者
Pietro Amorim ピエトロ・アモリン
2009年に同博物館学芸員就任。サントス・カトリック大学より歴史学教員免許取得。

Guilherme Barros ギリェルメ・バーホス
2014年に同博物館学芸員退任。現在は州立美術館ピナコテカのプロデューサー。

Bruno Bortoloto ブルーノ・ボルトロット
2011年に同博物館学芸員就任。現在、サンパウロ・カトリック大学で歴史学博士課程。

Marília Bonas マリリア・ボナス
2017年に同博物館館長を退任。現在はサンパウロ抵抗記念館コーディネーター。

①ブラジルの写真史に名を連ねる著名なマルク・フェレスが1889年に撮影したサントス港の積荷風景。フェレスは鉄道敷設や港湾整備などの国家事業を数多く撮影した。

埠頭設置以前の、港は大混乱。
鉄道開通から1892年のサントス港埠頭の完成までは25年の時差がありました。衛生や設備の整わない当時の港に、世界のコーヒー需要に応じる力量はありませんでした。写真左下は、コーヒー袋を積んだ荷馬車です。

(学芸員ピエトロ・アモリンさん)

②収穫したコーヒー豆と撮影に臨む労働者たち。農場の宣伝用アルバムからの一枚。サントスから北北西約400kmのリベイロン・プレットの農場で1928年に撮影。

③②と同じアルバムからの写真。広大な敷地を有する農場主は、輸送の効率化のために、鉄道駅から農地へと線路を敷き、小型の蒸気機関車を走らせコーヒー豆を出荷した。

④1865年に撮影された現在のリオ・デ・ジャネイロのジャカレパグア地区にあったコーヒー農園。ヨーロッパ移民導入以前、諸々の労働は黒人奴隷によって賄われていた。ブラジルの奴隷制廃止は世界で最も遅い1888年だった。

外せなかった1枚の写真。
かつてリオ州やサンパウロ州のコーヒー農園は、アフリカから連行された奴隷の労働に頼っていました。忘れてはならない史実です。解放後も国から補償されなかったので、未だに黒人系市民の多くは社会的弱者なのです。

(編集に携わったブルーノ・ボルトロットさん)

⑤海岸山脈を貫く線路の間にはケーブルが確認できる。約8kmの勾配にはケーブルカーが用いられ、その上下の操車場で連結し直された蒸気機関車が、港へ、あるいは内陸へと、貨車を牽引した。1910年代撮影。

⑥サンパウロ州初の鉄道会社サンパウロ鉄道の蒸気機関車。コーヒー豆生産地の増加に伴い、複数の鉄道会社が後に設立された。鉄道はまた、ヨーロッパや日本からの移民を内陸へと運んだ。1900年代撮影。

Welcome To The Coffee Museum
ブラジルのコーヒー景気が体感できる博物館。

1998年の設立以来サントスきっての人気観光スポット。1922年開設の旧コーヒー取引所を改装した建物からは、当時のコーヒー業界の繁栄ぶりがうかがえる。1階には、かつての厳かなコーヒー豆オークション会場が保存されている他、カフェ、図書館、ミュージアムショップがあり、2階ではコーヒーに関する常設展と、半年に一度内容が刷新される企画展が楽しめる。また、博物館周辺では、サントス市との提携で市電「コーヒー列車」を運行している。

Museu do Café
コーヒー博物館

Rua Quinze de Novembro, 95 Centro, Santos
(営業時間)火〜土:9時〜17時、日:10時〜17時、月曜定休


取材・文・写真 仁尾帯刀
更新日:2019/08/30



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