COFFEE BREAK

BOOK

文化-Culture-

2014.12.25

ヘミングウェイが愛したコーヒー。

ハリーズ・バーのコーヒー。

お酒にまつわるエピソードが数多く知られるヘミングウェイだが、コーヒーとの関わりはあまり語られてこなかった。しかし、コーヒーはいつも文豪の傍にあった。ヘミングウェイの足跡を辿って「水の都」を歩けば、彼の愛したコーヒーが見えてくる──。

ヴェニスに文豪の面影を追う
ヘミングウェイが愛したコーヒー。

(左から)トルチェッロ島のオーベルジュの壁に飾られた写真。ジュゼッペ・チプリアーニ(左)とヘミングウェイ。/タリオリーニ・グラタンはこの店の名物料理。/ハリーズ・バーのカウンター。ヘミングウェイもここでバーマンの所作に見入っただろうか。/ピーチ・ジュースとプロセッコで作るベリーニ。

 アーネスト・ヘミングウェイが初めてハリーズ・バーに「飛び込んできた」のは1949年の秋のことだった、とアリーゴ・チプリアーニは述べている。ハリーズ・バーはカルパッチョやベリーニを考案したヴェニスで最も有名なバー&レストランであり、アリーゴはこの店の二代目オーナーである。

 文豪とヴェニスとの最初の出会いはさらに30年以上も時を遡った1917年のことだ。第一次大戦下、傷病兵を運ぶ車の運転手としてイタリアの地に足を踏み入れたのだった。

〈ヴェニスは、彼が十八歳のときに──はじめてそれを見たとき、まだなにもわからず、ただそれが美しいということだけしか知らずにながめたときと同じくすばらしく......〉

 1950年の秋に発表された彼の長編小説『河を渡って木立の中へ』はヴェニスへのオマージュといってもいい作品である。この土地への賛美がストーリーのそこここにちりばめられる。

〈畜生っ、おれはなんとかして一生、この町を歩きまわっていたいものだ〉

(左から3番目)ハリーズ・バーからカナル・グランデ越しにサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂を望む。

 酒豪伝説的なエピソードは枚挙にいとまがないヘミングウェイだが、コーヒーについての記述や逸話はそれほど多くない。しかし、生涯の少なからぬ時間をフランス、スペイン、イタリア、キューバといった〝コーヒー大国〟で過ごした彼がコーヒー党であったことは間違いない。パリのカフェ、クローズリー・デ・リラのカフェ・クレームを愛し、イタリア・トリノではビチェリン(*1)というコーヒードリンクを絶賛したという話が残っている。アフリカのサファリで撮られた写真には、テントで読書に耽る文豪の傍にブラックコーヒーがなみなみと注がれたカップが写っている。

*1 ビチェリン エスプレッソとホットチョコレートとクリームをミックスして作る。

カフェ・フローリアンでは
"著名な作家"としてコーヒーを飲んだ。

カメリエーレに頼んで、ヘミングウェイがいると想像してコーヒーをサービスしてもらった。

 ハリーズ・バーには特にヘミングウェイの定席と呼ぶべき場所はなかった。バーでは当時〝発明〟されたばかりのベリーニよりは、ジンベースの強いカクテル、モンゴメリを好んで飲んだとのこと。座ると背中の古傷が痛むからと、ヘミングウェイは立ったままの姿勢で原稿を書いたという。コーヒーもカウンターで飲むことを好んだのではなかろうか。エスプレッソがヴェニスに広まるのはもう少し後の時代のことだから、彼が飲んだコーヒーは挽いた豆を煮出し、フィルターで濾して飲むタイプだったと思われる。

(左から)カフェ・コン・グラッパ。/クラシックな意匠と味わいを持つビスコット。/サン・マルコ広場のコリドーに面したカフェ・フローリアンの入口。スタンダールもジョルジュ・サンドもグレース・ケリーもこの店でコーヒーを楽しんだ。

(左から)1525年に総督の住まいとして建てられたホテル・グリッティ・パレスのラウンジ。/運河に面した入口。/ヘミングウェイの定宿で、『河を渡って木立の中へ』の主要舞台の1つにもなっている。

メルカートで撮影されたヘミングウェイ。ノートを手に取材中?

 ハリーズ・バーからカフェ・フローリアンへは角を一度曲がるだけ。歩いて2、3分の距離だ。この現存するヴェニス最古のカフェテリアは観光の中心地であるサン・マルコ広場に面していることもあって、著名な作家がプライバシーを楽しめる場所ではなかっただろう。ヘミングウェイにとってここは、よりパブリックな場所だった。店には、伊紙「イル・ガゼッティーノ」の記者からインタビューを受ける文豪の写真が保存されている。フローリアンはカフェ・ラテ発祥の店とされているが、生涯マッチョを装っていたヘミングウェイのこと、ここで飲むのはカフェ・コン・グラッパ(*2)が似合うと思うのだが、いかがだろうか?

*2 カフェ・コン・グラッパ ブドウの搾り滓を蒸留して作る強いお酒グラッパを、エスプレッソに混ぜて飲むもの。

ヴェニスで書かれた
『河を渡って木立の中へ』

主人公の〝大佐〟のモデルは明らかにヘミングウェイ自身。年下の恋人〝レナータ〟との朝の逢瀬のシーンにコーヒーが登場する。日本語訳は全集にのみ収録。(写真はロンドンのジョナサン・ケープ社版の初版)

トルチェッロ島で飲む
コーヒーに求めたものは?

(左から)2階の中ほどに位置する客室にヘミングウェイは泊まった。客室は6室のみ。極めて家庭的な宿だ。/ロカンダ・チプリアーニのダイニング。窓の外には、美しい庭園と12世紀に建てられたサンタ・フォスカ教会が見える。/ロカンダの正面。ヴェニス本島からランチに訪れる人も多い。

(左から)ヴェネト州を代表する銘酒アマローネ。文豪は夜、部屋に帰るときにこのワインを6本携えていき、朝にはすべてを空にしたとか。/小エビとグリーンピースのパッパルデッレ。料理に使われる野菜の多くは敷地内の菜園から。/テラス席でランチの後に出されたたっぷりのコーヒー。

 ヴェニスに3日以上滞在することができるなら、1日はヴェニス本島を離れてほかの島に渡るといい。トルチェッロ島は本島から水上バス、ヴァポレットで50分ほど。人口17人、古びた教会が2つ建つだけの小さな島だが、この島こそがヴェニスのルーツである。ここには本島の喧騒や刺激や装飾過多とは正反対の静寂と安穏と自然美がある。そしてロカンダ・チプリアーニがある。ハリーズ・バーの創業者ジュゼッペ・チプリアーニが開いたオーベルジュだ。この世にも美しい庭園ダイニングを持つ宿をヘミングウェイも愛して通った。ロカンダのロビーに飾られた幾葉かの写真の中に、麦わら帽を被ったヘミングウェイとジュゼッペが並んだ写真がある。2人の前のテーブルにはたくさんの空いたグラスと一緒にコーヒーカップが写っている。アリーゴ・チプリアーニによれば、客と友人の区別をはっきりとつけていたジュゼッペが宿泊客と飲食をともにするのは極めて珍しいことだった。ジュゼッペに自ら定めた鉄の掟を破らせるほどに、ヘミングウェイはこの場にくつろぎを求めていたのかもしれない。ジュゼッペは、ふだんは休業している冬場にロカンダを開けてヘミングウェイを迎えたこともある。有名作家の仮面を外し、アーニー(ごく親しい人が使った愛称)に戻ったヘミングウェイは、ここを足場に鴨撃ちに出かけたという。

(左から)ヘミングウェイが足繁くヴェニスに通ったのは彼自身の「落日」に差し掛かる時期だった。/木漏れ日と涼風が気持ちいいテラス席。ヘミングウェイは冬場でも屋外で食事することを好んだ。/額装されたクリスマス・メッセージと写真。文豪と黒猫、メアリー夫人が写っている。



 文豪が最後にヴェニスを訪れた1954年は、彼がノーベル文学賞を受賞した年でもあった。『老人と海』が高く評価されてのことだ。

〈「コーヒー飲む?」と少年はきいた。
「船具を舟に運んでしまってからにしよう」かれらは漁師たちの集まる朝の溜り場でコンデンス・ミルクの空缶からコーヒーを飲んだ〉

 ヴェニスのラグーナ(礁湖)での鴨撃ちから戻ったヘミングウェイが飲んだコーヒーもきっとこんな感じだったに違いない。

※参考文献 『ハリーズ・バー ヴェニスの伝統的なバーの物語』(株式会社にじゅうに)、『ヘミングウェイ全集 第7巻』(三笠書房)

文・浮田泰幸/写真・吉田タイスケ/コーディネート・持丸史恵
更新日:2014/12/25

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