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西部劇に登場する、荒っぽいコーヒーもいい。

Illustration by takayuki ryujin

 アメリカの西部劇映画を観ていると、開拓民やカウボーイが荒野で野宿しながら、必ずといっていいほどコーヒーを飲んでいる。焚き火を起こし、ブリキのポットを直火で炙る。豆は荒く炒ったものを雑に砕いて、そのままお湯に入れてしまう。コーヒーミルがなければ豆を靴下に詰めて、岩に叩きつけて砕いたらしい。出し殻はポットに水をさして底に沈めるのだが、口に入ってしまった分は地面にペッと吐き捨てる。なんとも野趣あふれるコーヒー生活だ。

 アメリカでコーヒーが国民的な飲料になったのは、独立戦争のきっかけになった1773年の「ボストン茶会事件」にまで遡る。宗主国イギリスが植民地のアメリカに一方的に茶税を課し、さらに東インド会社に茶の独占販売権を与えたことに怒った市民たちが、ボストン港に停泊していた船舶を襲撃。積み荷の茶を片っ端から海に投げ込んだのだ。

 そしてイギリスへの反感から、多くの市民が紅茶をボイコットするようになり、コーヒーを飲む習慣が広がったという。紅茶を愛するイギリス人は戦場でもティータイムを欠かさないと聞くが、アメリカの開拓民やカウボーイたちはどんな過酷な状況でもコーヒーのことを忘れない。

 そんなこだわりが垣間見えるのが、ロバート・ミッチャムとマリリン・モンローが共演した1954年の西部劇『帰らざる河』だ。

野宿した河辺で分け合う、マグカップのコーヒー。

 主人公のマットは長らく刑務所に服役していたが、出所して、生き別れていた息子のマークを迎えに行く。親子一緒に大地を耕し、人生をやり直そうと決意したのだ。

 ところがヤクザ者の賭博師に大切なライフルと馬を奪われ、さらにネイティブアメリカンに襲撃されてしまう。マットは、マークとモンロー扮する賭博師の恋人ケイを連れて、濁流の河を下って逃げようとするのである。

 農場にネイティブアメリカンの部族が迫っていることに気づいたマットは、苦労して建てた家も、育てていた農作物も一旦捨てると即断する。銃を失っては、家や土地を守る方法はないからだ。

 マークに急いで荷物をまとめるようにと指示を出し、賭博師が残していった筏に飛び乗る。わずかな時間でマークがかき集めた荷物は、数枚の毛布とコーヒーポットとマグカップ。道中でちゃんとコーヒーを淹れているので、豆も忘れていなかったようだ。

 マークはまだ9歳だが、苦いコーヒーもガブガブと飲む。幾多の危険をくぐり抜けてようやく目的地にたどり着き、父マットから「町に着いたら何がしたい?」と訊かれた時の答えも「カップ1杯のコーヒーをまるごと飲みたい!」なのだから、立派な西部育ちといえるだろう。

 コーヒーは、反りが合わなかったマットとケイの距離を縮める役割も果たす。マットにとってケイは、賭博師に入れ込んだ場末の酒場女に過ぎなかったのだが、激流を下る中でお互いのことを見直し始める。そして二人は、野宿した河辺でマグカップのコーヒーを分け合う。まだほんの少しだが、気を許しあったことが見て取れる瞬間だ。「カップ1杯まるごと飲みたい」というマークの願いも、過酷な西部では、助け合い、分け合うことがいかに大切かを知っているからこその願望なのだろう。

「濃いコーヒーをくれ、大量に!」と叫ぶ医者。

 西部劇を象徴する大スター、ジョン・ウェインの出世作で、映画史上に残る傑作として知られる『駅馬車』では、コーヒーのおかげで新しい命が救われる。同作は、駅馬車でアリゾナ州からニューメキシコ州に向かう乗客たちを描いた群像劇。馬車がアパッチ族に狙われていたり、ジョン・ウェイン演じる脱獄犯のリンゴ・キッドが周囲から白い目で見られている娼婦と恋に落ちる展開など、『帰らざる河』の原型を見出すこともできるクラシックだ。

 途中の停留所では、身重の貴婦人が産気づいて倒れてしまう。幸運にも駅馬車には医者が乗り合わせていたのだが、素行が悪くて町を追い出されてしまった酒浸りの酔いどれ親父。しかし背に腹は代えられないと本人が誰よりもわかっている。医者は「濃いコーヒーをくれ、大量に!」と叫び、シラフに戻るまでコーヒーを飲み続けるのだ。

 かつて家族を救ってもらったとリンゴ・キッドが語っていることからも、医者が名医だった過去が伺い知れる。なぜ酒に溺れたのか、そもそも理由などなくアルコール依存症になってしまったのか、そういう背景は一切語られることがない。ただ(医学的な根拠はともかく)コーヒーの大量摂取によって無事に赤ん坊を取り上げると、今度は満足の笑みを浮かべながら再び酒に向かうのである。

『駅馬車』は他の場面でもコーヒーをさり気ない小道具として活かしている。娼婦のダラスは赤ん坊が生まれた夜にリンゴからプロポーズされ、悩み抜いたあげくに承諾する決意をする。翌朝、リンゴが返事をもらいに来るとダラスはキッチンでコーヒーミルで豆を挽いている。

 娼婦の自分と、脱獄して追われる身のリンゴが幸せになるには、国境を越えて逃げるしかない。甘い気持ちだけではいられない複雑な心情を、豆を挽いてコーヒーを淹れる日常の所作で紛らわせているのが伝わってくるのだ。

 いずれの映画も、コーヒーが生活に根付いたアメリカ文化から生まれている。主人公たちをより身近に感じるために、粉を煮るだけの荒っぽいコーヒーを淹れてみてはいかがだろうか?

『帰らざる河』

刑務所帰りの男と息子、場末の歌手の3人がネイティブアメリカンの追跡を逃れるために危険な川下りに挑む。有名な主題歌をはじめ、マリリン・モンローの歌声も聴きもの。

『駅馬車』

巨匠ジョン・フォードによる不朽の名作。荒野を走る駅馬車とネイティブアメリカンの攻防をクライマックスに据え、娯楽活劇のお手本として後の映画に多大な影響を与えた。

文 村山 章(映画ライター)
更新日:2020/10/12



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