COFFEE BREAK

文化

文化-Culture-

2018.12.17

エッセイ*小野正嗣【コーヒーについて。】

 フランスに留学した八年のうちの五年は、オルレアンで暮らした。クロードとエレーヌという夫婦(僕の両親と同世代)が持つ古い建物の三階にある小さなストゥディオ----でも、食事を含めて一日の大半は、その建物とつながった二人の家で過ごした。
 早朝、まだ夜が明けるかなり前に部屋を出ると、軋む古い木の階段を降りて二人の家に入る。セメント塗りの廊下を抜けて、海の底に沈んでいるかのような暗い居間に入るころにはもう、コーヒーの香りが漂ってくる。クロードはすでに起きて仕事を始めている。
 居間に続く書斎のドアをそっと押して覗く。やはり暗い部屋の奥には、光を放つパソコンの画面に----その奥のいまだ言葉にならざるものたちの宇宙に----向き合う詩人クロードのうしろ姿がある。そばの暖炉の上には、積み重ねられた本や紙片に混じって白いマグカップが置いてある。それが電子レンジで温められたコーヒーであることを僕は知っている。
 でも、キッチンから漂ってくるコーヒーの香りは明らかに淹れ立てのものでは?
 その通り。クロードは朝起きるとまず、昨日のコーヒーを別の容器に移し替え、起きてくるみんなのために新しくコーヒーを淹れるのだ。実際、キッチンに入った僕は当然のごとく、サーバーからカップに熱いコーヒーを注ぐ。
 僕に気づいてクロードが「ボンジュール」とキッチンにやって来る。それから、青と白のチェック模様のタイルの天板の乗った大きなテーブルを囲んで立った僕たちは歩き始める。詩人でパリ第8大学文学部の教授であったクロードに導かれ、僕は〈文学〉という広大な----なぜかコーヒーの香りの漂う----森の中を散策する。
 二十代後半にフランスに留学するまで、そしてオルレアンの二人の家に住むまで、僕はコーヒーをほとんど飲まなかった。東京で学生生活を送っていたころ、コーヒーはあくまでも友人たちと喫茶店で飲むものだった。
 それがいまでは目覚めてまずコーヒーを飲まなければ、一日が(というか、僕の哀れな脳みそが)ちゃんと動き出さない気がするのだから不思議だ。クロードがそうしていたように、朝早くから僕はコーヒーの入ったカップを手元に置き、本を読み、文章を書いている。
 でも何かが足りない。クロードとコーヒーとの関係にあった大切なものが僕には欠けている。クロードとエレーヌの家では、コーヒーがさりげなく与えてくれる大きく温かい何かに僕は触れていたはずなのだ----歓待とか包容といった言葉で表現するのがふさわしい何かに。
 オルレアンでの朝、しばらくしてエレーヌがキッチンに入ってくる。彼女の席の前にはすでにカップ、角砂糖の瓶、そして小さなスプーンが置かれてある。ラジオのニュースを聞き、新聞を読みながら、そしてもちろんコーヒーを飲みながら二人は話し始める。フランス社会のこと、たがいの仕事のこと、そして家族のこと。仲のよい夫婦の会話だ。いつもの朝が始まる。
 二人の話に耳を傾けながら、ふとわれに返る。
ここに僕がいてもいいのかな? 
 なにせ二人は、普通は他人には聞かれたくないだろうと思われる家族のこみ入った話でさえ僕の前でしているのだ。
 あるとき、その疑問をクロードにぶつけた。
 すると驚いた顔をされた。
 クロードにとって、そしてエレーヌにとっても、〈家〉は家族だけに閉じられた〈うち〉ではないようなのだ。二人はまだ若い夫婦だった時代から、断続的にであれずっと、だから三十年以上、困難にある人たちを受け入れてきた。クメール・ルージュの虐殺を逃れてきたカンボジア人男性、イラク・イラン戦争で少年兵として戦場に送られそうになったイラン人兄弟。僕がいたころにはスーダンからの難民申請者の男性を二人は支援していた。
 この家で人生の大切な一時期を過ごしたそうした人々のうちで、何の危険もなく自由に故郷に戻ることのできた僕がもっとも恵まれた境遇にあったことは言うまでもない。しかし、彼らの全員が僕と同様に、あの青と白のチェック模様の大きなテーブルのそばで、クロードとエレーヌと一緒にコーヒーを飲んだひとときがあったはずだと確信している----僕の帰国後、僕がいた部屋で暮らすことになるスーダン人男性が、小さなカップに入ったコーヒーに角砂糖を一つ落とし、スプーンでさっと素っ気なく、でも優しくかき混ぜていた姿を思い出す。
 まだフランスに来たばかりの彼らには、彼らがそこにいないかのようにでは決してなく、彼らがそこにいることを自分たちの現実として受け入れながら、この心優しい夫婦が語っていたフランス語の言葉のすべてが聞き取れたわけではないだろう----僕がそうだったように。でも他者の存在が自分たちの〈うち〉にあることを自然なこととして語られるその言葉は、キッチンを満たすコーヒーの香りとともに、彼らを、僕を、心地よく包み込み、僕たちの心から静かに溢れ出す喜びと混じり合う。

PROFILE
小野正嗣(おの・まさつぐ)
1970年大分県生まれ。小説家、仏語文学研究者。「水に埋もれる墓」で朝日新人文学賞、『にぎやかな湾に背負われた船』で三島由紀夫賞、『九年前の祈り』で芥川龍之介賞受賞。2018年より、「日曜美術館」(Eテレ)のキャスターも務めている。
小野正嗣

(C)講談社

文・小野正嗣 / イラスト・唐仁原多里
更新日:2018/12/17

PAGE TOP